だけど、そんな事は起こらなかったんだよ、仔猫ちゃん。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね
●『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』岡崎京子 ISBN:4582832121
 岡崎京子の、「文章」を集めた本。僕は、この人の文章は好きだなあ、と思いました。文章でも、ああ、これは岡崎京子だ、とわかる感じ。ですが、人によっては、気取った、共感できない文章に見えるかもしれないです。
 それより、いきおい、感情や生きることの暗い側面に目を向けすぎで、耽溺するのは危険な文章だなと思うかもしれません。確かに耽溺は「バランスが悪いように」僕も感じますが。
 さてここで、すこしケースを考えてみます。いつも、そういったことから目を背けて、いかにも自分に罪はありませんといった顔で暮らしたいから、あるいは、まあ、その他諸々、理由はなんでもござれですが、都合の悪い物事を「見えない」扱いにするというケース。良くも悪くも自分は自分の「欲望」を言っているのかもしれないが、自分の「欲望」は自分の中で正当であり、それは罪ではないはずで、最終的には「欲望」を「見えない」扱いにして、仕方がないじゃないか、とするケース。なんだか、彼女の漫画や文章を読むと、「見えない」扱いにしているはずなのに、自分には(欲望はあっても)罪はない「はずなのに」落ちてゆく人たち、まさにその欲望ゆえに、がよく描かれている気がします。
 目を背けていようが、それらは半ば勝手に、高確率でいつかは目に入ってくる不快なものでもあるけれど、ただそしてそれは、永遠に見続けるようなものではないし、ずうっと目に入っていられるものでも、多分ない。だのに、「見えない」扱いにして決定的には見ようとしなかったものだから、欲望に駆られ、いざそれらが不可視から可視のものとなった時に、落ちる、という状況に陥るのかもしれない、なんてことを考えます。だから欲望やくらいものを「見ようとする」(わざわざ自分から「体験する」必要性は、そりゃまあないと思う)ことは、それは、諸手をあげて「いい」と言い切れるものじゃないかもしれないけど、時には少し大事じゃないかな、と思ったりもします。時には、だなんて、いつの時にはだ、という感じで、難しすぎる話ですし、仮に見たとして、わかったつもりでいたとして、落ちる力は恐らく強大でもありますけど。さらに言えば、見ることから「必要」以上に離れられなくなり、結果的に落ちることもあると思いますが、まあ、それでも。都合の悪いこと、とりわけ、自分の「欲望」がしでかしたことは、見えない風にできるかもしれないけど、それは「なかった」わけではないんだよ、という。
 とはいえ、ちなみに、これはただの本です。「見ようとする」ことはできるかもしれないけれど、かなり正確な意味で「見る」ことはできないし、つまり「体験」でもない、本なのだから、本で「見ようとする」ことはそれ自体が間違いかもしれないです。というか、「見た」気になるのが間違いのように感じる、かな(僕はリアリティ、実体験至上主義ではないですが、同時にまた、実体験を無視できる気もしません)。しかし、見ないようにする、というのも僕には抵抗がある。じゃあ見ることができるように、誤解を恐れずに言えば、自分の中でそれをうまく処理できるように、努力はしてみよう、と、だからこんな、ちょっと胸を突かれるような文章を読むのかなあと思いました。これは、「見た」気になれる文章、って感じはします。そして、その気が頭の片隅にでも残っていれば、欲望について考えられることもあるだろう、という、これまた気が僕にはするのです。
 って、だんだん本の話とずれてきた気もする! しかし、本の中にもその言葉が出てきたのですが、本当にこの人は「ハッピーエンドのその後」や、そして「欲望」を書くのがうまいなあ、と思います。
 ああ、こういう話、うまくまとめたいけど、難しいです。

urusei yatsura
●『WE ARE URUSEI YATSURAurusei yatsura ASIN:B000005IRB
 その昔、『うる星やつら』からバンド名を取り、urusei yatsuraと名乗り現れた彼らは、その後yatsuraと改名。今、活動してるのかな…この人たち。性急な癖にだるくて甘い、投げ捨てるようなギターロックを演っていて、それがなんともかっこよかったなあ。なんか叫んでるけどいまいち力入ってねー!あはは!っていう。曲名も「Pachinko」とか…力の抜けるような、でも妙な気合いが入ってるような…この曲名は、あの、ジャンジャンバリバリ的な「パチンコ」という意味合いの「Pachinko」だと思うのですが、そんな曲がやたら格好良かったりするから困りもの。音は、ソニック・ユースだとか、OOKeah!!やOOYeah!!の頃のスーパーカーに少し近い感じ、また、僕らがグランジと呼んでいたものにも似た聴き触りで、そうそう、ちなみに、一曲目に収録されている「Si Amese」という曲は、終わりの方でひたすら「Si Amese! Si Amese!」と繰り返しているのですが、それが「さみー!さみー!」と連呼絶叫(でもどこか力弱い)しているようにしか聞こえないのでおもしろいです。空耳的。