SPA!は(SPA!に限った話ではないけど)相変わらず分類が好きみたいだなあ

 風鳴りがする。ぶごう、だか、びゅごう、だか、ぴゅうう、だか、そんな音を重ね、数重奏が聞こえる。低く奏でられる風の通奏低音と、細高く主旋律を奏でる風音が耳に入ってくる。
 歩いて家まで帰ってきたのはさきほどだ。夕方から降り続けていた雨のその雨足は深夜にはもうだいぶ弱まって、傘を差さずともさして鬱陶しいことにならないから僕は傘を差していなかった。ただ時折顔や手にかかる滴、そして街灯に照らされ、落ちてくる針のように見える水の軌跡から、それでもいまだ雨の降っていることはもちろん知っていた。単純にそれを気にせず僕は歩いていただけだ。
 家路に着くまで害虫駆除の仕事、公的ではなく幾分私的なものだ、をしていたためか、遅くなってしまった。気に留めず雨に濡れたせいで、先頃買ったお気に入りのジャケットも負傷している。そして現在時刻は午前三時過ぎ、明らかに寝ていないとおかしい時間ではある。いかにも状況は芳しくないように見える。けれど、僕は案外、寝ないでも大丈夫な時は大丈夫なのだし、会社は朝が遅いからどことなく平気な気分だ。正確に言うと遅くてもそれ自体では文句は言われない。
 かつて、世の中には、五時から男なんていう象徴的なキーワードがあったり、九時五時という最早実体の存在しない概念があったり、アフターファイブという今ではもう失われた言葉があったりしたそうだ。しかし通常、少なくとも僕の通常では五時、夕方の五時といえば、そこからが仕事が真の顔を見せる魔の時間帯、実体化しつつも全体像が杳として知れないバミューダ的領域に突入する頃合いで、つまり仕事が五時などで終わるはずがない。奴はそんなに優しい顔を見せたことなんてまずなかった。奴に気を許せば、心を呆としてしまえば、五時などゆうに過ぎ、はたと気付いた段になって電車がなくなる危険性が真に迫ってくるのだ。非情な怜悧さと狡猾さを兼ね備えた、奴は時間泥棒なのであった。前述のキーワード、概念、失われた言葉など僕にはまるで歴史上あるいは空想上の出来事のように感じられる…。別の言葉で言えば、午後の十時や十一時、その辺りからが僕のアフターファイブなのであり、その時間帯においてはじめて、かつて世界より喪失されたアフターファイブという言葉は僕の内部で再び光を得るのである…。とうに日は暮れ、辺りは真暗なのだけどね…。そしてもし、今日の日記を要約せよ、という試験問題が出たならば、答えはこうだ。もう少し早く帰りたいなあ。