前の老夫婦が手と手繋ぐように

 日記者の烙印を押され、現世と日記世(かくりよ)の狭間を彷徨う境界の日記書きとして生を送る僕こと綾川ことid:farrahこと僕ですが、あ、この書き出しは「日記」っぽいですね…というよりかつて僕の考えていた「日記」に近いものだ、これは、既視感がある…。
 まあいいや。思えば、僕はハンドルネームを「日記」とし、日記存在との合一による理想的日記郷を目指したこともありました! しかし、そんな奇策を弄しても、今でも、日記に何を書いて良いのかなんててんでわからないですよね。日記ってどんな匂い?記すってどんな力?あなたってどんな日記読み?という葛藤が常に、心のベストテンにランクインしていて、わからないんです。ああ、だけれど、これを読んでいる方々には、そんな僕の日記でも、今からもうずっと、ずっと経って、僕の髪が薄くなって、僕が六十四歳になっても、変わらず日記を読んでくれる? 僕の日記をリファって、読んでくれる? と、言いたいです。これはポール・マッカートニー卿が昔放った言葉を引用したのですが、僕にはその言葉が、ポールがそれを言いたくなったのがとてもよくわかる気がするんです…。ねえ、知ってる?読まれない「日記」は寂しくて死んじゃうんだよ、なんて、六十四歳になっても日記書いてるのお前!?という話ではありますが…あと、最も重要なことは、ポールはそんなこと言ってないので要注意だってことです。そこを忘れてはいけません。僕は放っておくと日記ではかんたんに嘘を吐くので要注意ですね……。いや、実生活、つまり僕のプライベートモードにおいてはまずもって不実な嘘を吐かないですけどね!(と、ここで誠実さをうそアッピールする綾川。文面とは裏腹に、苦虫を噛み潰したような顔でキーボードを打っている)
 なお、一応書いておきますが、ポール・マッカートニーが実際に言ったのは「六十四歳になっても、僕の髪が薄くなっても、君はまだ僕にバレンタインを贈ってくれる?そして誕生日にはワインを贈ってくれるの?六十四歳になっても、僕を必要としてくれる?」であり、前述の僕が嘘引用した言葉よりどっちかっていうと元々の言葉の方がなんだかすごく共感できますね!