昔書いたもの

 結構昔に書いた与太話(もちろん未完結)の冒頭部分が見つかったので、戯れに載せてみます。ニューアルバムを出した時のオアシスにインスパイアされ、ロックなサクセスストーリー、今夜俺はロックンロールスターだぜ、っていう感じのが書きたかったんですが、いきなり終わってしまいました。たぶん、すぐにロックをあきらめ、日記って言葉を使いたくなったからだと思います。あとところどころにパクリフレーズがあるのでちゅうい。あと最大の問題点はつまらないことです。

                                  • -

 とたたたとたたたとたたたたん、とてったとたたたとたたたたん、とたた、たたとてたたた、たっ、たっ、たっ?って、ああ、わかんない! 休符を入れようとすると途端にこれなんだよね。もういい、難しいよ馬鹿。ちくしょう、リズム練習がこんなに難しいものだとは思わなかった…そう浅川はひとりごち、ロックスターへの道がいよいよ暗雲で覆い尽くされてきたように思って、うつぶせにベッドに大の字に倒れこんだ。
「ありえねぇー」
 リズム通りに叩けばいいんだろう、叩けば、なんて軽々しく思っていたおのれの浅はかさが気絶するほど悩ましい。これでドラムとの破局も見えてしまった。ギター、ベース、キーボード…習得しようとしては挫折した楽器連中が浅川の脳裏に浮かぶ。ギターなんてクソだ…ベースなんてもうご免だ…キーボードは論外、ロックじゃないね、ついでにドラムもファッキンシットだ…。彼はベッドルームでブルーにこんがらがっていた。
 思えばそれら楽器との間の結婚生活は短命であった。まず、ギターは弦が六本もあり多すぎること、典型的な理由ではあるが「F」のコードが押さえられなかったこと、なにより浅川の手先が不器用なことが離婚の決定的な原因だった。ベースは、これは弦の数も少ないしあるいは理想の結婚になると思われたのだが、浅川の技術的な限界によりその蜜月は終わりを告げた。もっとも、単純な3コードのロックを、演奏テクニックを無視するというパンク的、というかシド・ビシャス的な方法論で演り続けるのならば技術的な限界もさして問題にならず、ベースと浅川との甘いロックンロール生活も続き、メイクマニーへの赤絨毯が敷かれた可能性もある。しかし、不幸なことに、浅川はテクニック至上志向のヘヴィメタル原理主義者だった。パンクなんて、ギターソロもベースソロも無いじゃないか…格好悪いじゃないか……。それが浅川の持論であると同時に、彼の枷となっていた。彼はもっと、ベーシストならばうねるような高速ベース、タッピングなどを難無くこなす超絶技巧奏者を目指していたし、ギタリストならば「神」と呼ばれなければ意味がない、手が消えて見えるくらいの早弾きが出来ないとなる価値がないと思っていたのだ。そして最後に、キーボードに関しては、まあ浅川との性格の不一致だった。つまり、彼にやる気がまったく無かった。

 浅川にとって残された楽器は、もう無い。小学校の時習ったたて笛、幼稚園の時使っていたピアニカなど、やってやれないこともない楽器はあるのだけど、たて笛?ピアニカ? そんなのはロックじゃないし、早弾きならぬ早吹きをやろうとすると実際問題難しいだろうと思っていた。ロックな楽器が出来なければロックスターにはなれない、と考える浅川を救う手段として、ヴォーカル、という選択肢はもちろんあった。ただ、ああ、なんというのだろう、彼の歌はどれだけお世辞を尽くしても褒められるものではなかったのだ。技術と努力する意思こそ無いが、彼のロックンロールサクセスドリームは壮大に紡がれていたものだった。彼の脳内で、今までは、という限定付きで。
 彼は、要するにもう何も出来ない。浅川が歩むべきロックスターへの道はこの際はっきりと閉ざされた。

 この街でどんづまりから抜け出すには、ロックスターか日記スターになる他ない。ロックスターは自己に陶酔し、金持ち連中や日記連中を高みから見下ろし馬鹿にしつつ金を稼ぐ。日記スターはそんなロックスターを斜に構えつつ笑ったり、自身ははぐれ者を気取りはぐれる自分を自虐的に笑いの種にしたりで糧を得る。彼らはお互いそんなことを至上命題としていた。日記スターとロックスターはこの街で、奇妙で不穏な共生関係にあった。