近況メモ

 映画3つ観た、ビデオだけど。『黒猫・白猫』と『ぼくの伯父さん』と『24アワー・パーティー・ピープル』。最近諸事情によりTSUTAYAに足しげく通うようになったので、観たかったものをちょこちょこ観ている。『黒猫・白猫』は、僕は好き。冒頭の、重たそうなロシア製洗濯機を(案の定といった按配で)川に落とす、なんてシーンあたりからもうOK。ひまわり畑のシーンとか素晴らしいのではないかなあ。あと音楽がまじでいい。ジプシー音楽というか、ロマ音楽はすばらしい、楽しすぎるわぁ、という感じ。
 『ぼくの伯父さん』も良かった。けど、まあまあ。とか言うと怒られそうだけど、個人的にものすごく楽しめたかというとそうでもない。ああ、いいね、楽しいね、ここの映像とか動きは楽しいっすね、という…。こういうちょい古めの、有名な人が撮っている映画は、そりゃ個人的にも大抵それなりに気に入るんだけど、うっかりしてると「この映画は楽しいはずなので楽しいポイントをお勉強しましょう」みたいな観方で観てしまうので注意(自分に向けて)。
 『24アワー…』は、マンチェやらハシエンダがどうこうとかで、その辺の音楽をまあ僕はリアルタイムに享受していたわけではないのだけど、楽しめた。好きな感じの音楽を扱った映画、なので、細かい部分を抜きにすれば、とりあえず、うわーいいなあ、楽しいなあ、という感想が出てくるばかり。ちなみにそういうことで言えば、
http://www.cinemarise.com/cgi-bin/rise_search.cgi?tmpl=detail&year=2004&just1=2004010&exp1=2
きっとこれを観に行く。こっちはまさにリアルタイム…! たといつまらなくても観る。つまらなかったらつまらないと言うけど、ものすごく観たいので観に行く。以上簡単な個人的感想。
 ところで音楽だとか映画だとかに関する、感想でもまあ批評でもいいんだけど、それを表に出すのはこわいことだなとかよく思います。この間、ダンサーインザダークを「ダークすぎるから“嫌い”」で、「映画は人々に与える感動と夢と希望があってこそ映画として存在できる」と「思っている」から、そういう意味で「ダンサーインザダークを認めない」という人をネットで見て、その人はダンサーインザダークを褒めている人を見ると「今までアンタ何本映画見たんだよとツッコミたくなる」そうなんだけど、僕はそれを読んでうひゃあと一声。「個人的に認めない」という表明だったはずなのに、いつの間にか「この映画を褒める人間の映画観は間違っている!」になっている…という飛躍がこわい。この例に限らず、いつの間にか「お前間違ってるぜ」を書きたがったり言いたがったりする例はよく耳や目にすると思います。まあ単なるその人たちの意見だとは思うんだけど、そんな風に言われる(言われているのを見る)と、ついつい身構えてしまうなあ。しかし、僕はダンサーインザダーク観ていないけど、暗い?ダークな?映画を褒めると、二度とオマエは映画の本質にたどり着けない、というような、偽者はLIV…?はたして…?というような問い掛けや決定をされてしまうのはたいへんだと思った。あとよく考えたら「ダンサーインザダークがダークすぎるから認められない」っていうのはちょっと面白い気がしてきました。
 でも、映画は3本観たけど、本は1冊も読めていなくて全部途中なのがよくないです。コクトーさんの『ぼく自身あるいは困難な存在』を読んでいたけどそんなに面白くないので途中で止めた。増える一方であんま本読んでない。
 それと写真現像頼んだ。僕は写真とかボウフラよりわかってないので、そもそも写ってるかどうかはよくわからない。