Words gets around

 検索ワードにすがる更新というのはどこか他力本願、さながら雨乞いの儀式にも似ていて、もはやそれに頼るしかない、というような状況が類推されたりもするわけですが、この日記は要するにそういうことです。近頃、「モテリーマン」という言葉での検索が多いです。モテリーマンとは割と市民権を得ている言葉なのか!と驚くと共に、「モテ」という言葉に託された、思わず検索してしまうような人間を惑わす呪術的な吸引力に思いを馳せている次第です。かくいう僕は、モテたいか、と問われればその「モテ」という言葉がどのような文脈で使われているのか判断がつかず小首をかしげるように設計されている生き物ですので、モテへの情熱が今ひとつ、自分の中にある衝動としてはあまりよくわかった試しがありません。本当ですよ…例えば日記で、モテたいなどと口走ったことはありますが、それが本心かというとそうでもないです。本当に見えないとは思うので信じられなくても仕方が無いですけれど。
 しかしまずモテとは何を指すのでしょうか。たくさんの人に「ただ」ちやほやされる、というか、誰も僕を嫌わないといいな、というエヴァンゲリオン感、略してエヴァ缶溢れる感情ならば僕は理解は出来るような気がするのですが、例えば男性の場合ですと比較的多くの女性と性交の機会を設けたい、という願望がモテへの道標とされる場合があるようにも思え、もしモテるという言葉がそれを指しているのなら僕はノーです。極端な例かと思いますが…。いや、多分、そのようなことではなくて、もっと微妙な、暗い領域、微細な自尊心の動きをくすぐられて気持ちいい、というのがモテの本道なのかもしれず、そちらのほうが自分にとってまだわかりやすいですが、結局モテという言葉が発するアトモスフィアの行方は僕にとって大抵杳として知れません。僕がこういうことを考えるのもきっと、「モテ」た経験、というか実感がいままでまあ無いからだと思います。僕がモテたい、と言い出す時があったのは、そう言わなければ人としておかしい、それが自然だ、ナチュラルなヒューマンビーイングの考えかただ、って、今ほとんど同じ意味のことを二回繰り返してしまいまして美しい日本語推進委員会があるとすれば怒られそうですが、ともあれそのような観念に動かされてのことだったように思います……その時、モテたい、ちやほやされたいと渇望していたかというとそうではなく…それはどこか現実感の薄いようなただの言葉で、でも基本的には発した言葉でもって真偽の判断をされるのだから、他人が自分の真意とやらを都合よく推し量ることもまずなければそもそも推し量ることを期待してはいけないのだから、モテたいとかそんな事を言うともう、ああこの人はモテたいんだな、って思われるわけで、それだけだとなんか嫌な気分、ならそもそもそんなことは言わなければいいのに…それは別にモテという言葉に限らないわけで、だけれど言ってしまうのはなんでだ…?と、いや、何言ってるかわからないですね。今日は朝からほんと頭が働かないみたいで、変なことを書いてしまったなあと思います。以上いいわけでした!現在、目を閉じれば今すぐ眠れる自信があります!すみません!