はてな幸福論 ―あるいは日記書きは幸福な夢を見るか?―
「幸せですか?いまのあなたは、幸せなんですか?*1」と、2年以上前、ブラウン管のこちら側に向かって真摯に問うたのはハロプロユニットであるセクシー8の皆さんでしたが、みなさんはどうですか?幸せですか?ちなみに僕はその頃無職だったこともありあまり幸せではありませんでした。また、「し・やわせになりたいー」と歌った*2のはモーニング娘。の皆さんですが、みなさんはどうですか?しやわせになりたいですか? 皆さんの思い浮かべる幸福とは何ですか?
というわけで、幸せについて考えたいと思います。ここで、現在、本邦でも五指に入る幸せAURAを発しているのではと目される紀宮SAMAの話を書こうと思ったのですが、もう、一度日記で書いてしまったし、後は、わあ!よかったですね!くらいしか書く事がないので急遽変更して、「本当に幸せな人は日記を書かない」というたいへんに恐ろしい仮説について考えてみたいと思います。幸せについて書くとはいえ、必ずしも幸せなことを書くとは限らないのです。日記ってふしぎですね。
ええと、これはとあるはてなダイアリーさんのコメント欄でそういう話題「本当に幸せな人は日記を書かない」が出ていたのですが、ほんとうに恐ろしい悩ましい仮説ですよこれは! これは正しいなら、今、こうして、一語一語、タイピングしている間にもこれは幸せが逃げてゆくということに…。そう思うと、なんだか日記を綴ることがまるで身を斬られるような気分になってきたので、これは、この先書いていいものかどうか迷います。あまりに恐ろしいので先ほどから脳と日本語が不自由になり、「これは」という単語を乱発している上文章も明らかにおかしいですが、ただ、要するにこれは(また使った)、世間一般的に流布する「幸せのイメージ」には「日記を書く」という行為が入っていないために発生する迷いなのではないか、と思うのです。例えば「愛情を得ている人=幸せ」「お金いっぱい持ってる人=幸せ」などのイメージは比較的受け入れやすいものだとは思うのですが、「日記を書いている=幸せ」ってなると………ええぇーーー、ないない。そんな幸せ聞いたトキない。となると、幸せになりたいのなら、今すぐ日記をやめるべき……? え、いや、でもそれはそれで、不幸せというか…ココロに刺されるような痛みが走るというか…私、幸せにならないってわかってても日記から離れられないのかしら……。
このように、僕は日記と幸せについて考えると、頭の中でひどい寸劇が始まってしまい色々と危険なので、今日はこの辺にしといてやるよ(自分に向かって)。ただ、日記と幸福の関係性というこの由々しき問題については、折に触れ考えてゆきたいと思います!何故なら、僕は人生において5番目くらいの勢いで日記に真剣だからです。
まあ…とはいえ、あたまがしょんぼりしてきたので、回復の一助となすため、「日記」とは関係ない幸福についての文章を引用して今日の日記を終わりたいと思いますけれども。そんなわけで以下、加護亜依さんによる幸せのディスクール・断章。
そして、加護にとっての恋とは、
大好きな人とずっと手をつないでて、
好き好き同士のままで一緒にいること。
(『恋愛ってなあに?』のc/w『message from ai』より一部抜粋)
加護さんがこう言うんだから間違いない。幸福感とはこんな感じだよね!きっと! この加護さんの言葉を読むと涙が出そうになりますね。僕も、日記とか仕事とか趣味とか愛情とかそういうの、つまり人生をがんばって、加護さんが表現しているような幸福感を常に感じられるようにがんばります!というか僕の人生の中に日記が含まれているのはこの際不問に処してください。