青春エントロピー領域(「日記系」っぽい日記を書くよ!)

 今日の日記は長い。キモい。間違いない。だから誰も読まないかもしれない。でも書く。載せちゃうか…こんな日記もっ…! というわけで始めよう。僕のサイトは「日記系」であったし、「テキストサイト」でもあったし、現在は「はてなダイアリー」ということになる。日記系とか、テキストサイト、といった分類はご存じない方も結構いるのではないかと思うけど、まあ、いわゆるブログ隆盛以前の時期に、コンテンツとして「日記」「Diary」を載せていたサイトは局地的にそのような呼称で分類されていたのだ(今でも「テキストサイト」という呼称は残っているような気もする)。


 つまるところ、昔話を書こうと思う。今日書くのは、「日記」という文字に、あの付加的な意味を与えていた奇妙なスモールサークルのことかもしれない。私を読んで!(ReadMe!)と連呼する悲痛な声たちのことかもしれない。I SEEK YOUとばかりに夜な夜なICQを立ち上げていた君たちおよび僕のことかもしれない(ICQはいつの間にか、MSNメッセンジャーに取って代わられた)。「大手」「中堅」「弱小」「周辺」「馴れ合い」「ネゲット」「界隈」「大規模オフ会」などの言葉に付随するあのポジティブ・ネガティブな響きのことかもしれない。「“文中リンク”で“喧嘩買います”、か。6年前のセンスだな、オメー…」と言われかねない様式美、あるいはその様式の滑稽さのことかもしれない。つまりは文中リンクが好きなサイトへのラブ or ヘイトとして機能することかもしれない。いいかい、それは確かにトラックバックと一緒なのかもしれないが、それはトラックバックじゃなくて、文中リンクだったんだ。idなんて便利なものはなかった。そして、もったいぶった言い回しや、これが面白さの極点だろう?と言わんばかりの風を狙うもの、あるいは難解で重厚な語彙を使う――ただし日記のためにだ。学問そのものの話題は少なかった、と記憶している――ものもあれば、モテなかったり童貞だったりひきこもりだったりといった世間的に「負の財産」とされるものを逆説的にウリにしたり、柔らかな言葉や、暗にせよ明確にせよある種の攻撃性に満ちた言葉、だがしかし磁力を持った言葉を使うもの、または軽妙な言葉をひねってうまく着地させることにこだわる奴もいて、そうやってサイト上で虚実入り混じった像を躍起になって造り出し、場合によってはその影響でオフラインですら日記に引き摺られる振る舞いをしてしまう、お茶目な、かわいそうな人たち。否、かわいそうな僕ら。しかし僕にとっては愛すべき人たちのことかもしれない。それらについてを僕は、「HTMLタグ直書きでなしに」、はてなダイアリーで今日書く。という逆説。アンテナが日記を殺した?ブログが日記を併呑した?ほんとうに?というか僕は何をこんなに大仰に書いているのか?


 僕は「日記系文化」あるいは「テキスト系文化」の文脈に従えば、「2000年組」だったようだ。あるいは、誰が言ったのか忘れたけど、「第4世代」、だったそうだ。狭間の世代。90年代後半から始まった日記系と、2003年あたりから勃興したブログとの、その狭間の、日記系第4世代だ(日記系とブログを単線上に結びつけるこの行為こそ、まさにあの閉鎖的文脈から脱却“したくない”ことを示してはいないか?)。だけど、日記系サイト/テキストサイトをはじめる連中はたぶん――開設時期がいつだってそう変わらないと僕は思っていて――みんな、面白いと思われたくて、誰かにすごいと思われたくて、きっと必死だった。そのはずだ。はずだと思っている。「そんなことない」「もう忘れた」「気持ち悪い」なんて言わないでくれ。気持ち悪いと言うのは波打ち際のアスカラングレーだけでいい。いずれにせよ何を言われても、性質の悪い僕は、きっとそれは嘘だろう?君は、君たちは密かにしろおおっぴらにしろ、賞賛と承認を欲しがっていたはずだろう?と思ってしまうから。そして何にでも自分ガタリを結び付けてしまう癖のある僕だが、僕は、僕もそうだった。承認が欲しいという気持ちは確かにあった。いや、あるに決まっていた。
 僕は君たちが何を書いてきたかを知っている。場合によっては、君たちのある日の日記の、書き上げた君たち本人ですら憶えてはいないかもしれない、そのだいたいのフレーズだって諳んじることができるんだ。これは粘着じゃないと思う。粘着といわれるのは寂しい。いい日記は記憶に残るんだ。願わくば、君たちも僕の書いた日記を同様に憶えてくれていますように! そういった類の愚鈍な祈りをほとんど無しに、「自然に」、なんとなく日記を載せる、なんとなくブログることを、それを決して僕は否定しないが、歓迎もしないだろう。今も。この先も。その狭量さは、まさしく狭量な世界観を日記系で育ててしまった者の、烙印であり、同時に奇形的な誇りでもある。


 だいたい、オフラインでのヒエラルキーすら、たかだか「日記のおもしろさ」で決まり“かねない”世界があったなんて信じられるだろうか?そういう、時と場合によってはとんでもなく排他・抑圧的にもなり得た小世界がかつて確かにあった。とはいえ僕もその片棒を担いでいたのかもしれないし、何より、今もそういうのに類似するものはあるかもしれない。いやどこかにはあるだろう。そもそも、「話のおもしろさ」や「容姿」でヒエラルキーが決定される現実世の、歪で曇った写し鏡としてのインターネット、っていうのがあるんだから、今でもどこかにあるんだろう。そう、別に、日記系ならずとも、そのようなことに根底が類似した光景は見ることができるし、そもそもインターネットではなくても、あるコミュニティがあればそれは経験則的に言ってほぼ不可避的に発生する。だけど僕が経験したものは、「日記系」「テキストサイト」のそれだった。そうして、いくつものサイトが開設し、その後、ある者は飽きて、ある者は人間関係や、自分あるいは「界隈」の文章その他諸々のレベルの低さを嘆き、閉鎖していった。またある者はサイトを存続し、未だにHTMLにこだわり続けているだろうし、またある者は日記/テキストとブログの狭間を漂い続けている。僕もまだサイトを続けている。
 今こういった話をしたのは事実懐古の意味合いが強いのだろうし、昔は良かった的な滑稽で、後ろを見ていると取られても仕方がない、人によっては虫唾が走る話だろう。だけどたまに、僕はそういうことを思い出して、ざわざわすると共に、楽しく前向きな気分になってくる。要するに、今日、リードミー!に再登録したんスよ、えへへ…ごめんなさい…(^^)*1

*1:簡易WaybackMachineとしての追記。最後に、好きで読んでいたサイト――あるいは今現在も存続していて、さらに言えば未だに読み続けているサイトもあるけど――それらを挙げよう。「思い出せる限りで」。挙げる順番はてきとうだ。サイトの名前もいろいろ変化しているのがたくさんあるけど、それもてきとうだ(というかサイト名として僕が一番好きなもの、を書こう)。また、省略形で呼んだ方がしっくりくるサイトは省略形で書くのだ。まるで羅列式リンクページだけど、だってこれは、爆弾だから。彼/彼女たちと僕を繋ぐ、日記の、僕が持つ記憶の、爆弾なのだから!じゃあいくよ!「クリラバ、ヘクサ、OUTDEX、ウガニク、我ラ、ナフ、ティンポクロー、はつ恋、大阪安全ガラス、HMQ、Acidoverdrive、九十九式、桃核、シニスナ、マフィア、ロク文、コロスニッキ、イロにっき、君と僕、コマイヌ式、スクリームマシーン、コヨーテ、神様なんて信じない僕らのために、エスロピ、WALKING IN THE RHYTHM、猫を起こさないように、皇太子殿下、ベリペコ、ドラピス、片道、bluenotes、闊歩、ジュビリー、ハントウメイ、恋愛勇者、IV、コスモクルーズ、渦巻き、perfectrice751、ミルクコーヒー、はじ閲、Delusion Diving、函館、ハンサム団、かまくら、おとなランチ、オトノチカラ、わたりろうか、アシュタサポテ、ヘイ・ブルドッグ、スヰス」、とか、これらのサイトが、その文章で僕を楽しませ、嫉妬させ、泣くような思いにさせ、また笑わせたものたちだった。感謝。