OK、コンピューター。って言うじゃない?

 いささか時期を逸しているとは思いますが、ギター侍であるところの波田陽区さんが割と好きになってきました。というのも、以前より考えていたのですが、波田陽区とはやはり「かわいい生き物」なのだなという認識に、最近明確に達したからです。ご承知の通り彼は無害な方で――彼は「無害化された」のではなく、その当初から無害であるように思います――彼の残念斬りコンボから感じられるのは言わずもがな、攻撃性などではなく、むしろ「何も斬りえていない」微笑ましさなのであって、彼のスタイルが真似されるのは、おもしろいからというよりも、それが人々のグルーミング的コミュニケーションを妨げないという“微笑ましい性質”を持ったかわいい記号として機能するからではないのでしょうか。ここに、「波田陽区さんを面白いと思っている人はそこまで多くないと思われるのにそのスタイルが広く流布する」現象の、薄いベールの下にある側面があらわれている気がします。波田陽区さんの無害性は、例えば女性誌…『VoCE』において「美は急げ!'05早耳ビューティニュースVoCE斬り!」という見出しが踊り、『JJ』では「街にキタ―――――(゜∀゜)―――――!!!! 隠れ主役は白ですから!」という見出しが跋扈していることなどからも顕著で、つまり、彼のスタイルは「かわいくてほほえましい」のです! となれば、みんな波田陽区さんに倣っていろいろなものを斬っちゃうのも道理というか…。ですから、波田陽区を「面白くないのに有名なのはメディアが持ち上げているだけなのだ」といった調子で叩くのは、恐らくそれこそ「かわいそう」というものです。というかそもそも、「メディアが“持ち上げる”のは彼の『おもしろさ』というよりも彼のスタイルの『利便性』だ」、なんて類のことは、別に話題に取り上げずともいいことのような気もします。取り上げてしまいましたけど!


 この意味で、波田陽区さんがその活動において「おもしろさ」を目指しているのだとすれば不憫ではありますが、一方では、波田陽区さんは戦略的にあのポジションを築いたという見方も出来ます。
 レディオヘッドトム・ヨークは、アルバム『KID A』に収録されている「How to disappear Completely」(トムのすごい方法 -もう完全に消え去りTai!-)という楽曲において、「僕はここにいない 僕はここにいない 僕はここにいない」と繰り返し繰り返し歌いました。彼にとって、『OKコンピューター』というアルバムの成功は、そのような心境をもたらしたのかもしれません…。これはまさに、波田陽区という存在が提示する「何も斬っていない」虚ろさに類似するものを、トム・ヨークも志向していたのではないかと受け取れます。そして、「ロックなんて退屈だ、だってゴミ音楽じゃないか」「僕はここにいない」と繰り返していたトム・ヨークが在籍するグループが、『OKコンピューター』後に創り上げた「非 - ロック」アルバム『KID A』。しかしそれが、結局は「優れたロックアルバム」として成功/評価されたという逆説。ここから、波田陽区さんは成功のヒントを得たのかもしれません。僕はここにいない、と歌い、大ヒットアルバムを飛ばしたトム・ヨークと、何も斬り得ないけれど人気者の波田陽区トム・ヨーク波田陽区は名前もそうですが歌ってる姿もなんとなく似ているのであり、波田陽区の戦略ここに極まれりという見方もでき…。


 などというのは単に今日適当に考えた事なんで別にどうでもよくて、それよりも、僕としては「街にキタ―――――(゜∀゜)―――――!!!! 隠れ主役は白ですから!」という『JJ』の見出しの方が気になります。『JJ』がキター!!とか使っちゃダメ!と思うんですよね…。いや、JJにはJJでいて欲しいっていうか、いつまでも、いつまでも僕とあんまり関係ないところで輝いていて欲しいっていうか…。変わりつつあるJJを見るとなんとも残念です……ざんねん…斬り………。