明日は明日の風が吹く
どうやら今日は誕生日というものが来たようで、自分は年を取ったらしいのですが、困ったことに、自分史上空前絶後の勢いで、今年は、年齢を重ねたという実感がないのです。ここ数年間に関して言えば、誕生日に飛来するやっちまった感、換言すれば、加齢感に恐れ戦いていた感覚が実情としてあったのだけれど、今年はそれがない。ここで、「それは最早あなたにとって加齢が可視的なものと化したのであり、動かしようの無い事実としての加齢を、あなたの身体および精神が受容したからである」、あるいは、「加齢感に対する恐怖の消失を強調しておきながら、なお加齢に言及することは、やはりあなたがその支配下にあることを示しているのだ」などといったスカタンな感想を抱く御唐変木様たちがいっらっしゃるかもしれませんが、そのような見方はいささか凡庸かつ短絡的に過ぎると言わざるを得ません。
というのも、これはむしろ、僕が年齢というものを超克した、と見るべきだからです。加齢を意識し煩悶する、などということは、年齢=現象としての時間推移の結果に個人のたましいが囚われていることに他なりませんが、ネクストレヴェルに突入した僕はもう人間ではない、のではなくて、それは単に森山直太郎の妄言を剽窃しただけなんであって、間違えた、ええと、僕は最早加齢感に対する恐怖を超越したのだから、現象としての時間推移すなわち年齢に僕という個人のSOULが囚われてはいないのだ、と言えます。要するに、僕は時間に勝った。ララァ、刻が見える。言わば……年齢というものを括弧に入れることに成功し……超 - 年齢的な視座を獲得した僕は…むしろ…年は現実世のレベルで言うともしかしたら取っているとされるのかもしれないけど、実のところもうネクスト次元にいるのだから――そこでは年齢という概念が融け去り、失われるので――年を取ってないというか……いやでも、僕がそういう高次の真理に到達していても、他人とかいう珍奇な名前のズッコケ野郎どもときたらユーアー加齢、ユーアー加齢などと卑しく騒ぎ立てるのでしょうから、もう他人からどう見えるかとかどうでもいい、という意味合いで、ブライアン・アダムスさんも昔「俺は死ぬまで18歳」って言ってたし、もうそういうことでいいじゃないっすかね、もう自分はロックンロールで18歳でティル アイ ダイみたいな感じでいいんじゃないすかね…いやよくない、それはそれで恥ずかしい。
などと思いつつ、まあいいや、今日、世を忍ぶ仮の年齢が28歳になりました!もとい、28歳になりました!消え去りたい!うそ、生きる残る。ちょう生きます。だいたい年齢とか、言うほど気にしてないのです。さっきは言い過ぎた。日記のためにやった。かっとなって年齢を超克した。今は反省している。なんて、まあ、年齢気にしてない、などという言葉は、書けば書くほど、言えば言うほど疑われる類の厄介なモノですけどね…。あと、加齢を肯定する感じで、よくキャッチコピーか何かで、「かっこよく年を取りたい」あるいは「美しく年を重ねたい」という類のものがある気がしますが、まあそんな志向は前提なのであって殊更言うまでもなく、しかしそれを忘れた時から敗北は始まるのだよね。とぼく思いまーす。負けないゾー。
そんなこんなで、28歳の私の目標はいつも通り、幸せを作り出し伝達したり享受したりしたいとかそういうのです。享受はともかく、作って伝達するのが信じられないくらい難しいですよね。じんせいってばお茶目だな。