名前をつけられてやる

 僕が勤めている会社には、2年半くらい前にまずアルバイトとして潜り込み、ぼんやりとしつつも、この年齢でバイトとかいって割とやばいわん、どうしようかにゃん、ってな感じで働いていたらふしぎな紙に社印をぽんと押されて社員になってしまい、その結果必然的に絶対的労働時間がいや増すなどの腐海エフェクトが発生したりしましたが、まあそんなこんなで今に至ります。つまり、2年半前くらいが、今の会社での職歴および労苦やら艱難辛苦やらのはじまりだったのですが、昨日、今にして隠されていた事実が発覚しました。


 ある組織やコミュニティ、共同体に新規参入者が来た場合、人類は往々にして、参入者のひととなりに応じ、あだ名などの「名付け」により参入者との近親感を増大せしめるか、あるいは憎悪感を募らせようと動く習性があることが経験的に確認されているかと思います。「名付け」はまた、参入者との心的距離を測るものでありながら、同時に、コミュニティ成員間における一体感(sense of identity)の形成に対し一助を担っているとも言えそうです、っていうか、まあそんな余太能書きはどうでもいいのですが、問題は、2年半ほど前における入社当初の僕のあだ名が「茶色」だったということだこのスカタンめ。あ、いや取り乱しました。スカタンとかスタカンとかカフェブリュとか汚い言葉を言っちゃいけませんよね…ごめんなさい…。まあ僕はなるほど、実は昔から茶色の服を好んで着ているのであり、僕と言えば茶色っぽいというイメージを抱いている方も確かに多いようなのですが、しかしもうちょっと、人間らしいあだ名、せめて、人間らしく、人間だもの、色の名前とか色の名前とか色の名前とかでなしに、例えば僕の下の名前は「ま」がついているのだけど、そう考えると「まーくん」とか「まーちゃん」とか「マ−坊」とかのあだ名が妥当なのではと思うのであって、「茶色」なんて非 - 人的なあだ名をつけられてた日には、テメーの“頭”ぁ“潰れたトマト”みてーにしてくれんゾ!?とばかりに僕は暴れてもおかしくないはずなのです。でもぼくえらいから暴れなかったよ!さあ、血の惨劇が起こらなかった事に感謝しましょう。アーメン。あと、よく考えたら「まーくん」とか「まーちゃん」などというのは恋愛レボリューション的な呼び名ではあるから会社内での呼び名としては気持ち悪いのだけど、思い返してみれば今まで誰からもそう呼ばれた事がなく哀しいから誰か呼べ。命令。うそうそ。呼ばれたら困ります。恥ずかしいから。


 ちなみに、当時僕のことを「茶色」と呼んでいたらしい上司様いわく、その話題が出た昨日「まあ赤い彗星みたいなもんで、凄い奴ってことだよ」と適当すぎるフォローを入れていましたが、間髪入れず別の社員から「いや彗星とかついてなかったじゃないですか、ただ茶色って呼んでただけじゃないですか」という言葉が…。オーライ、わかった…そういうことか…。単に色呼ばわりか…。いやでも、なにせ僕も大人だ。昔は昔、今は今、そんなことに目からくじらが立ちあがるような勢いで怒ったりはしないのサ。さあ、水を持ってきてくれ。流そうじゃないか?無論、水にね。だが、君たちは重要なことを忘却している…。それは、僕が、極度に人間的な器が小さいってことだ!キー!恨み晴らさでおくべきか! ってうそですよー。そんな子どもじゃないっすよー僕は。へへへ。といった複雑かつドリーミ−な心情で、心の優しいぼくはやはり、そんなことがあっても、みんなとなかよくはたらいているのでした。めでたしめでたし。みんななかよし!(丑の刻参りの日程を検討しながら)


 なんてな古典テキストサイト的締めくくりはともかく、実際はべつに怒っていないというか苦笑せざるを得ない程度のエピソードを誇張して書いただけなのですが、いやほんとに誇張して書いただけなんですが――なんてことを書くとますます怒っているように見えて楽しいなあ――まあ確かに昨日の服装とか全身茶色っぽかったので、さもありなんといった風情なんですよね。なので、今日は違う色を着てゆこう…。でも、違うんだ聞いてほしい。だって、昨日はグレーのズボンを着ようとしたのだけど、気のせいか、若干、きつ、く、なっていいたような気が、して、仕方なく茶色に…。ということは、太っ…いやそんな。そんな馬鹿な話があってたまるか。