実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか

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にっきのかきかたをわすれちゃったよ【日記の書き方を忘れちゃったよ】

1. 以前日記を書いた事がある個体が、時間の経過により日記を書く手法や技法を忘却し書けなくなっているさま

2. 90年代終盤から2000年代前半にかけて、日本のWeb上の片隅でおよそユニークユーザー数百人から数千人程度の小さなコミュニティを形成していたと推測される「日記系」あるいは「テキストサイト」と呼称された個人サイト群において、突出した個性や技能の無いサイト運営者が提供できる主たるコンテンツとして「日記」「Diary」「日々の雑文」といった、個人の日記と雑文的コラムのあいの子的コンテンツのデータがサーバの一角を占めるようになっていたのだが、その中で、現実生活の忙しさ(といっても、無職ではなくなったので暇が少なくなった、程度のことも多かったようである)や充実度に応じて個人サイトの更新頻度を下げることとなった運営者が、久々に「日記」を更新する際、日記の書き方を忘れた、という言い方をすることで、

「え!? あれだけ精力的に、もとい、言い換えると必死に自分のサイトを更新し、ランキングサイトのデイリーチャートに一喜一憂したりUUの数が一桁違うサイト運営者には目に見える形で媚を売ったり運営者同士の交流拡大にも併せて余念がなく、かつ当該交流対象の運営者が異性である場合はあわよくばの可能性を考え触手を伸ばすことに熱心だったテキストサイトの運営者●●さんが、日記の書き方を忘れるほど実生活の充実あるいは職業人としての能力を買われサイトの運営から遠ざかっていたとは!」

という驚きを閲覧者に与え、「俺が一番先に飽きたわー」感を出すことで、日記系やテキストサイトを俯瞰で見ることが出来るようになったデキる俺を演出する技法のこと。

しかしながら、このフレーズを記した当人の意図通りの文脈として受け取られることは決してないことにも留意すべきである。

(90年代後半から2000年代初頭の個人サイトの一部でのみ通用する悪魔の辞典より抜粋)

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というわけで、日記の書き方を忘れてました。

実に2年と9カ月ぶりにまとまった文章を書くし、高頻度で更新していたのはせいぜい2005年までなので、まあおよそ10年から15年前の間がボリュームゾーンであることから【日記の書き方を忘れちゃった】のも確かにそうなのですが、その間に就職したり辞めたりフラフラしたり再就職したり結婚したり子供が産まれたりもう一人子供が産まれたりしてたのもあって、それこそ、まあ、だんだん時間がなくなっていったのです。


でも、ちょっとだけ書きたい事があるので書いてみます。ほぼほぼどうでも良い事と思いますが、アイドルについてで、それこそ2年ちょい前から坂道シリーズ的なアイドルを推しているので、なぜそこに至ったか、というほぼほぼどうでも良い事を。ただ、今まで書いてこなかったパーソナルな事も書いてくので、ちょっとした半生記みたいなものでもあります。


というかこれ主観バリバリすぎてかつ長過ぎてFacebookにも書けないし(投稿範囲絞れば一応書けるけど)、Twitterでは短すぎるし、ここぐらいしかないんですよね。その、書く場所が。Facebookで投稿範囲絞った場合1人か2人程度しか見ないはずなのですが、こっちだと1人か2人くらいが実際としてもあわよくば10人くらいは見てくれるかもなあ、というのも淡い期待としてあります。あと、長いので。



■実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか


基本、わたしはミーハーだからです。以上。




と言ってしまうとそこで終わりなのですが、まあそれだけでは一応ないのでもう少し続けます。
結局、自分の半生にリンクしている話ではあるので。超絶主観しかない話になりますが、続けます。

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【1】ハロプロ
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だいたい2001年から2003年、言うたら2005年くらいまではハロプロというかモーニング娘。の4期生である石川梨華さんをわたしは「推して」おり、2001年から2003年あたりはライブにもそれなりに足を運ぶ、当時ちょっとだけ流行した「隠しサイト(個人サイトの一形態、本家サイトを持つ個人サイト運営者が名を明かすことなく別人として別サイトを開設運営すること)」と言う形式で石川さんのファンサイト(といってもテキストサイトですが)を作り運営、と、その当時の言葉で言えばモーヲタ及びモーヲタテキストサイト運営者の片隅くらいにいました。



これはまあ、楽しかった。テキストサイトでつるんでいた連中とメンツはほぼ一緒なのですが同じような仲間もいて、だいたいそいつらも暇と無駄なエネルギーだけはあって、それも楽しかった。ヲタという表記は未だに好きじゃないし今では当時の仲間との交流というのも無いのだけど、当時のモーニング娘。はメインでもサブでもあるカルチャーとして様々な事象に接合して語れる、というのが大きかったように思います。


なんでしょうね、大袈裟に言うと、その頃を生きてく力を得たと言うか。そういう類の衝撃というか。

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●人生って素晴らしい!初めて「アイドルを通じて」そう思えた時期

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ええと、振り返るとわたし、学生時代とか今にして思えばそっくり改変したいかなってくらい中身がなくずるずる過ごしていて。就職すんのもしんどいし何やっていいかよくわかんないし、それでいて考える事もしないし、ふわふわふるると曖昧模糊としてました。


個人サイトやり始めたのもきっとその穴埋めみたいなもんだったと思います。
だってみんなが、褒めてくれるんだ……な碇シンジ感が無かったとは、決して言えません。


そんなわけでまず「日記系」だの「テキストサイト」だのにわたしはハマっていくのですが、その時の仲間の間で、というかそれ以外の周囲でも同時多発的にモーニング娘。が「来だした」時期があって、それが2001年くらいだったかな?と。


なんだか自業自得なんですがろくな将来も待って無さそうだしどうしようかな、って時に、高エネルギー体に触れて覚醒するようなもんで、時期的には、LOVEマシーンとかで大流行した後なんですが、そういう流行モノの中に自分と接合できるものがあるんだという軽い驚きのようなものもあったし、どうやらよくよく見ると、このエネルギーは自分をドライブしてくれるらしい、しかもかわいい、あれ?やべえ!これ楽しいんじゃないの?人生って素晴らしい!!!!!




ってな具合でテキストサイトのみならずモーニング娘。およびハロプロにもハマっていく自分、という状態が形成されました。
この頃は、なんとか就職したけど仕事の意味もわけもわからずただただ苦痛、という時期で、その状態をなんとか乗り切る力の源泉としてテキストサイトやアイドルというものがわたしの中で機能していたように思います。

ちなみに、ハロプロにハマって以降、アイドルやサブカル的な何かの話ができない女性とは付き合えない(正確に言えば、ただでさえモテない人だったので、さらにディープダンジョンの奥へ行く感じ)身体になり、妻はそういった話もできるのでわたしが結婚とかできたのは奇跡みたいなものだったと思ってます。



その後、個人的には再就職、結婚と続き、だいたい2004〜5年くらいに一度モーニング娘。離れがおきます。



アイドルって、不思議なもので段々エネルギーを失っていく(モーニング娘。がそうか、は色々議論がありますが、一般論として)というか、たぶん時代から離れていくんだと思うのですが、出す曲もそこそこ悪くないしなんだったらファンの間では評価も高いしメディアにも出ているんだけど何か違う、ストライクじゃない、って感覚がどんどん大きくなることでこっちも離れてくというか。まあ、この場合は石川さんが卒業するので、やはりそれが大きいってのもあります。


で、しばらく℃-uteに流れたりして過ごしていたんですが、さらにアイドル自体から離れる時期があって。

離れてる時期って仕事が結構面白かったっていうか、ようやく自分が基本何すればお金がもらえて何すれば人が喜んでくれて何すれば怒ってとかがぼんやりだけど見えてきたかなという時期だったので、忙しかったり愚痴ってたりしたけど夢中ではありました。
元々自分の穴埋めとしてのテキストサイトだったりアイドルだったりしたのが、それこそ機能としてあまり必要としていない時期だったのかもしれません。


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【2】ありがちな流れとして、AKBとかSKEに流れる期
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んでも、またその後にRIVERとかのあたりからヘビロテあたりでなんとなくAKBとかSKEとかに流れ始めるっていうある意味わかりやすい遍歴なんですが、実はそこにもポイントがあると思ってます。

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●サラリーマンよりサラリーマンっぽいAKB48という組織

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確証は無いのですがなんとなく、フリーでやってるとかメディア系の仕事寄りの人は割と継続的にハロプロファンのままって人が多くて、あとスターダスト系もちらほらとかいるかな?なんですが、いわゆるサラリーマンになってる人って秋元康傘下の48Gとか46に流れてる傾向にあるかなと思ってまして。秋元康Gの方が悪趣味で握手(売上)ばかり見て非常にサラリーマン的、ってのが大きいかなあと。


わたしも時期的に、子どもが産まれて以降、会社組織内でマネージャーだのグループリーダーだのなんとか部長だのといった中間管理職になっていったのが大きく、このあたりでいきなりそれまでの業務を拡大しつつ小組織での売上利益も計画し上げていって、かつ所属者のモチベーションなどの人的管理、もっと言えば会社都合で嫌な事だろうとやるしやらせなければいけないといった事態に直面します。


そんな中で、かつてハロプロにハマった時ほどのハマり方ではないものの、わたしの中ではAKBGがその位置を拡大していきました。


AKBGって実にサラリーマン的で、高橋みなみに代表されるともすればブラック企業的な追い込みもあるのですが、むしろそういったものにコミットしていかなければいけない、そんな組織的な要請を内面化せざるを得なくなる、そしてそのBGMはハロプロではなくAKB48になっていった、ということです。


端的に、AKBでは総選挙に代表されるシステムで業績が可視化されます。そこには夢の形をした情念が渦巻き、政治もあり、箱庭内のポジションから逃れられなくなる現象が見られるのですが、それはまさにべッタベタなサラリーマンの世界。ホントはそうでもないけど箱庭を自明なものとして、その中で懸命に生きる少女たち。という構造を隠してもいないし、むしろ前面に出している。


たとえばAKBのドキュメンタリーがそういった苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち、といった基本ストーリーなのも、漫画『AKB49』がスポ根として成立していたのも、そう言うことだと思います。


つまり、わたしにとってAKB48は、かわいいアイドルではなく、自分を鼓舞する、ケツを叩くような存在であったということです。
だって、同じようなことしないといけない、と求められていたし、自分でも、そういうことも出来ないといかんよね、というのがあったから。




でも、だんだん、だんだん、そういう世界観に疲れていったのです。
以下は数年前のAKB総選挙を受けてどこぞに書いた感想ですが、そこにも自分の見方がまた変化してきた傾向が見て取れます。

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そもそも、定性と定量の曖昧なミックスでしかないアイドルの価値評価を定量寄りにシフトすることで、営業マンの成績表掲示のような見える化を敢行した事が総選挙の立て付けであり、そこには「所詮太客を捕まえたら勝ちなんでしょ(大型案件獲得ないしアサインされたために評価が上がる)」という諦念と「しかし太客を捕まえるということは価値がある証拠だよね(大型案件を獲得する、アサインされるのは実力ある証拠)」という扇動、といったタマゴが先か鶏が先か構造があり、その矛盾にはまり込む「社員」も多い。

そういった、全共闘的、新興宗教的、ブラック企業的な総括の場での追い込み、そしてその追い込まれ方にぐっとくるという悪趣味さと、立場への共感、構造への反発も覚えますが、そもそもそれが狙いであり構造を強化する装置として機能する矛盾もまたありますね。

そして、その構造を抜けるには、AKB商法、と、あえて書きますが、そのルール(本質的にはその組織内でしか理解できない商習慣や評価基準)に則りその波に乗って総選挙1位を狙うか、ルール自体を変えて外部評価を得るか、両方を狙うか、諦めるかの4択という現実世同様の世知辛さがあります。

で、その世知辛さにファンを巻き込み夢なのか何なのかを仮託させて、ひとつの市場経済圏を作り上げる、そしてその歪さが「現実」を転写しているようであるため「共感」や「興味喚起」が発生し、見込み顧客が拡大、さらなるクロージング(ファン化)につなげる、という、提案書に落とし込んだら横展開で案件がどんどん獲れそうなスキーム。ブレイクスルー以後のAKBはそのようなものであったかと思います。

なお、高橋みなみがいみじくも「人生は矛盾と戦うこと」と言いましたが、その正しさと覚悟に人は心を動かされる反面、AKBではその矛盾自体が仕組まれているも事実でしょう。ゆえにそこに、仕組まれていてもなお足掻く美しさを感じるのか、冷笑的に見るのかという態度表明があって、徐々に世間が冷笑寄りというか食傷気味になっているのがここ数年かなあ、と。

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この頃、わたしは疲れていました。複数案件のPMをこなしながら組織も曲りなりに見て。また、小さな組織であるにも関わらず、人間が集まれば「政治」が発生しポジショントークが横行することにも驚きと疲れを感じていました。


東に辞めたいという人あれば行って話を聞き(結局辞めるので止められない無力さも感じ)、西に業務過多で苦しいという人あれば行って調整するか巻き取るかして、そして雨に負けたり風に負けたりするし上からは怒られるし下からは突き上げられるしの中でなんとかやっていたのが、東奔西走する中で段々生気と判断力を失って行った数年。


そんな中、自分がPMを務めるある大型案件の炎上が決定的になりました。その案件を続けていたわたしは心理面の不調も顕在化し、その案件の道筋をなんとか整えたところで自社の社長からしばしの休養を勧められ、それを受理しました。


それは同時に、管理職からの離脱も意味していましたが、AKB的な概念がしんどい、高橋みなみに代表される「やるか、もしくはやるか」「前進のない組織、それを形作る前進のない個はすなわち死である」的なマネージメントがしんどい、というのが強く、確かに、とにかくちょっと休みたかったのです。


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【3】そして、坂道へ……
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そんな中で、2週間ばかしの休暇中。これまで楽曲単位である程度の興味しかなかった乃木坂46の番組を見るようになり、ちょっと空気を変えたかった、きっかけはそんなもんでしたが、静かな衝撃を受けました。


同じホールディングスに所属するグループ会社なのにライバル、といったエヴァのマルドゥック機関でもこんなマッチポンプしねーぞ、という怪しい出自であるにも関わらず、そして同じ秋元康でちょっと毛色が大人しめってだけ?あまりパワーを感じないかなという当初印象程度だったにも関わらず、さらに同じサラリーマン的構造にいるにも関わらず、少なくとも表層上はAKBとも違う世界が展開されていることにです。


音的にも、直近のハロプロの通好みっぽい志向(だけどわたしにとってはもう何か違う状態)とも違うし、AKBに似て非なる、悪い意味での下世話さは少ない感じ。同じ秋元康なのに、というところがまた複雑でしたが、この辺りも好みに近いことに気付きました。


要は、AKBには戦う美しさがあると思いましたが、どこか強迫観念的で組織の急速拡大に伴い政治的欺瞞も感じられ、戦いの目的自体が曖昧になってきた、ただその中で業績はきっちり昨対比で求められるさまがすっごく単線的なサラリーマン社会って感じられてその辺りがしんどいのですが、対する乃木坂46も上昇、前進は求められているものの何かが違う。


たとえばいまだにバラエティ等でうまく喋れないとか、旧ハロプロ/AKB的な価値観からするとアウトなんですが、なんかそこに主眼を置いてない感じがする。消費されることを敢えて回避してるのか、なんなのか。サラリーマンで言い換えると、TVでうまく喋って認知される、なんてのは、なんていうか出世街道の上がりパターンだったりするのですが、そこに絶対的価値を置いてない気がします。

それはたぶん、戦場が同じようで違うからなのかなと思ってます。
後発ゆえの差別化戦略が功を奏している、という言い方はできますが、どうも単線的な「あれか、これか」ではなさそう。


奇しくも、今はわたしも、強迫観念からは距離を置き、前よりはもう少し冷静に意思を持つようにしています。
それでも仕事の成果は挙げられるし、なんだったら組織に影響を与える事もできる。その方が人生的にも良いかな、と。


「苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち(≒わたしたち)」という構造自体は変わらない。変わらないのですが、そこに強迫観念性を持たせない、静かな意思をもって対峙する、という乃木坂ちゃんたちの感じが、多分今の自分にはあっているのだろうなと、そんなことを思っています。パワーをもらうというより、勝手な共感に近いかもしれません。


まあ、いずれまた、べったりとした、僕らの小規模な、戦場と呼ぶのも憚られる戦場めいた場や強迫観念に向き合う日が来るのかもしれませんが、その時に備え自分の上り坂を作れるようにしておこうかと思う今日この頃です。



いわゆる日記の書き方を忘れたのをいいことに、パンチラインとかオチとかこれを読むかもしれない誰かの役に立つようなことは一切書いてありませんが、次はまた3年後くらいに何か書いてるかもしれないし、意外と近い時期のどこかで何かを書いてるかもしれません。おしまい。