OKコンピューター、あるいはSEOとかクリック率を狙って書くのがライティングってことになっててそれはwebに載るテキストとして間違ってないけど、けど、の部分が自分の中に残る


OKコンピューターから20年ですって。学生時分でしたね。日記はまだ書いてませんでした。

25年くらい前だと思うんですが横浜にHMVが出来た時のことをよく覚えています。広い店内に無数の音源、知らない音楽、いきなり世界が拡げられた感じ。今なら検索すれば大抵の音楽は出てくるし、なんだったら映像付き、でも、検索するってことはそれを少しは知ってるってことだから、実はあまり知識が拡がらないってことでもあるなと思うわけですし、レコメンドエンジンはまだまだ基本的に当たり前の結果しか返せてないと思う。つまり類似した音楽をレコメンドすることが多いし、それこそ紹介テキストが弱いことが多くてそそられない。

昔は良かったって話を書きたいわけでもないけど、外資系レコードショップは知らない音楽と出会える可能性が俯瞰的に可視化されていてわかりやすかった。ある意味で決められた枠の中を気持ちよく泳げたようなものだった。良くも悪くもそこには無限なようでいて有限の楽な世界があったように思う。

でも、それらはインターネットの検索とレコメンドで出てくる結果としての一覧か詳細ページに変わってしまった。そして、ショッピングモールでたまに見かけるHMVタワレコはなんだか新星堂あたりと同じくらいに縮小して、ヒット作と過去作のアーカイブばかり手堅く陳列してる。代わりに俺達はインターネットで自由を得たらしいのに、レコメンドで決められるものは当たり前で反発したくなるし、広過ぎる検索可能性は結局のところ自分の知識をベースとした手足の延長線上の結果しか返さない。ジャンルでソートし一覧化されるおすすめ作品はすでに聴いたことがあるものか、チャート的に上位という順列の結果になっている。

端的に言って、つまらないなと思う。でもそれは、自分で自分の知識を拡げようとしなければならなくなった面倒臭さと裏表で、データベースだけは色んなところにあるからアクセスの仕方を自分で工夫しなよね、ということになったんだろうなとも思う。それがインターネットでしょ、工夫しなければ、工夫しない結果が返ってくるだけだよ、というような。

というわけで、キュレーションメディアの出番だ、という最初の直感は正しかったのかもしれないけど、数の論理が先行され余計に無駄な情報が増えただけだった。そこでは元からあった意味での編集がほぼ不要か、まったく不要だったから。誰かにとって入り口になる情報と誰かにとって今更まとめなくても良い情報が、情報の中身ではなくSEO的なロジックで順番に並ぶ。そして、そこからのソートやフィルタリングまでは実装されてない。短期的に、網羅的に金を産むものではないから。編集が金を産まない世界ゆえに。

もちろん、旧来的なメディアの文脈や役割をインターネット上でもうまく変換して編集しているものも人もあると思うんだけど、圧倒的に目立たないし、じゃあ例えば自分にとってのかつてのHMVなりの役割を果たすメディアなりポータルなりを見つければ?というのもちょっと違う気がしている。

じゃあ何だよ、って言われるとよくわからない。でも、少なくとも、ランディングした情報から、いまのような表層的なアルゴリズム、いかにもな関連キーワードやタグや近いジャンルの作品や記事を一覧で出すのではなく、編集軸を感じられるリンク関係が返ってくる、編集軸が感じられるレコメンドをされる、たまに一見ジャンル違いだけど実はこんなに面白い繋がりが見出せる、などが返ってくる、が実装されれば、だいぶ違うのかもしれない。


その時になったらようやく、OKコンピューター、って言うかもしれませんね。でもそれって、抗生物質漬けのブタにまた近づくってことかもしれませんが。