予言成就。40歳になっても日記を書いていた

何回か書いたことあるかもしれないのですが、たぶん15年くらい前に、自分のサイトで、僕は40歳になっても日記を書いてそうな気がする、と書いた憶えがあります。


その時はすぐに、嘘です、そんなの嫌です、みたいな文言を記載した記憶もなくはないのですが、実際、40になったけど日記を書いてみている自分がここにいます。いや、いないのかも。そもそも僕って何だ、何なんだ。とエヴァンゲリオン風の寸劇を挟みたくなる衝動を抑えつつ書き続けますが、でも、きっとあの時書いてて良かったんだと思うのです。すごく逆説的ですが、妻や子、家族やまたごく少数の友人を除いては、インターネットを介して少なからぬ繋がりを持った人達の方が今でもシンパシーは感じます。たとえずっと会ってなかろうが。


今でこそ社会生活はそれなりに送っていますが(たぶん)、思えば僕は、私は、小さい頃からどこか少しだけずれていたのかもしれず、かつ自分のやりたいことがわからない、的な一類型パーソンでして、例えば大学でサークルなんかに流されるように入ってましたが、自分の進んでやりたいことではないし、表層は合わせられますが最終的なところで学生ノリのネタ、キャラ、いじりいじられコミュニケーションと相容れず。など、主流だと思われる空気に、そう、空気に同化することはできなかったということだったんだろうなとおもってます。


結果、何年も在籍しておきながら1人2人を除いては、今そのサークルの人間と会う?と言われても会う気はしません。というか積極的に会いたくない。この辺は個人として多少入り組んだ感情がありますが、そりゃそうですよね、どちらかというと私はいじられる側の人間でしたし、シチュエーション上逆の立場に立つこともあるものの、いじりの方は今で言うマウンティング気味にくる場合もあったりで、なんか割と仲良くやってる感じもありましたが、実はホントに仲間と呼べるのはごくわずか、という。まあ、若かったの一言で済む部分も多分にありますが、数年前に一度顔合わせる機会があった際もいい年すぎるのに悪い意味で変わってなかったので、付き合いきれないっつうの。


って、みんな多かれ少なかれそういうのあるでしょ、うんうん、な話でしたが、インターネットで文章を書く、いや日記を書く、ていう意味のわからないことは、実は自分がやりたいと思ったことなのです。あれな話ですが、ほぼ初めてまともに自分でやりたいと思ったことなんじゃないかと思います。

そしてそこで会い、一定以上仲良くしてもらった人々は、世間的に見ればコミュ障だのクズだの見られておかしくない人たちも結構いました。ただ、もちろん人間の集団なので例外や逸脱例はありますが、と一言添えつつも、少なくともそれまで見てきた、空気でコミュニケーションする人たちよりは誠実で好ましかったし、よほど大人だったのではないかな、と思っています。

あとで続き書きます。