何度目の移転だろう?数えてはいないだろう。陽は沈みまた昇る、当たり前の毎日、何か忘れてる。
自分の書いた、正確にはタイプした結果出力される文字列を、Webサイト、というか、在りし日の真名で呼ぶなら「ホームページ」にアップするようになったのがかれこれ十七、八年前だったと思うのですが、十五、十六、十七年前とわたしの人生暗かった、という、夢が夜ひらいてしまうような思い出ぼろぼろある限りなくせに、今でも、折に触れてその頃誰かが書いた日記や、自分の書いた日記、あれやこれやの会話、それやこれやの行状、などふと頭の端に過るのは、やはり仄暗い青春よりも遅れてきた青春のようなものの方が自分にとって眩しかったからに違いなく、それを衒いなく認められる程度には年齢を重ねたがゆえに、ここでまた、いまでは一年に一度ほどしか訪れない、何某かの文章を書きたい、という欲望の捌け口をこさえた次第なのです。
という前口上、ずいぶんと手癖感が強いのだけれど、そこそこの文字数費やし僕が何を言っているかというと、「はてなダイアリー終了のお知らせが悲報的にやってきたのでどこか悲劇的な心持になり、悲痛極まりない思いでもってはてなブログへ記事をインポートしています」ということに尽きるのです。と、いま、尽きるのです、とキーボードを打とうとしたら、ちゅきるのです、になってしまったので、うっかり可愛さを醸し出してしまうところでした。剣呑、云々。まあ実際は悲痛なことは何もないものの、ただ僕の書いた文字列が消えてしまうのは、悲しいことだなあ、と自分で思ってしまったので、このような文章を書き始めているという次第なのです。
何かこう、本当はもっと、書こうと思ってたこともあるんですよ。仕事のことなんか触れつつ、如何に僕がどうにもこうにもなのか、という泣き言、恨み節、その他エトセトラ、軽く諧謔交じりか、古のフォントいじりすら使って書き連ねる用意も無くはなかったし、その反対に、前進、躍動、意識高い文言を書き連ねることもできたかもしれないのですが、そのどれでもなく、どちらにもつかない、熟考も推敲もほぼなくただ流れるだけの文章、元々それが僕の書きたかったことなのですし、このような形式の、改行もなく、有用性もほぼなく、そんな文章、このご時世に読むのは、ある程度奇特な方とまあ、言えなくもないので、これを読んだ貴男や貴女がもしいるのなら、それは古来インターネットの神に捧げる儀式であったという、キリ番ゲットとおなじくらい、珍しいことなのでしょう。
それで今日思い出したのですが、振り返るとたぶん十七年くらい前、テキストサイトをやっていた知人が、君はこの先も文章を書き続ける人である、というようなことを僕に言い、そうなんですか?と問い返したら、いやなに、呪いのようなものですよ、と言ってきたことがあります。そこだけ切り取ると、なにやら文学に捧げる魂の交差的エピソード風でもあるし、ぜひそう読んでもらいたい気もするのですが、このように価値判断における無風地帯を築き上げることに貢献するのみの文章を記しているところからすると、果たして呪いは成就したのではないかしら、と思わざるを得ません。
そんなわけで、あの人、だとか、あの人やあの人などなど、元気だろうかねえ。ってな風になんだか急にセンチがメンタルになってきたので、ソーシャルネットワークサービス上で息災を確認できる方々はまあ別として、一切消息が杳として知れない、いま思いつく限り五人程度に向けてこれを書いている、とすら言えてきたなと思うわけですが、届かない手紙というモチーフは古来より繰り返し用いられてきたものでもあるし、使わせてもらわない手はないのだと思います。だから、これは手紙です。御返事は、期待しないで期待しておく次第です。この先また、みなさんへの届かない手紙を書きたくなったら、また、何か、書くかもしれません。あらあらかしこ。