そういえばサイトなんて持ってたっけ、とか書いてみるけど、本当は忘れたことなんてない、ただ、書いていないだけ

20年以上は前にテキストサイトなんかやってた連中はあのころ爪弾きにされていた社会に適応できているのかいないのか、ってことで言うとまあまあ適応しているのだろうし、していなかったらこの世にいなかったりするかもしれないし。それで自分はといえば、こんな風に何かを書き出しているので、適応しているともいていないとも、歯切れの悪い感じです。

 

いよいよ50代すら見えてきた我々。というか、あの人とかあの人はもう50代だったかな、なんてことを思わないでもない今日このごろだけれど、自分にはせいぜいが島耕作の一コマに出てくる通りすがりのモブキャラにギリギリ見えるか見えないか、程度の社会適応力しかないことはもう十分わかっているわけだから今日も明日も誤魔化し誤魔化し生きつつも、それはそれで懸命に仕事とかしてたりするのです。

 

そんな風に日々過ごす身にもかかわらず、こうやってインターネットの片隅で何かしらを書くことを完全には止めてない。20年前のような調子でちょっとおかしなことを書こう、なんて気にはもはやなれないけれど、意味のない文章をただ続けて、続けて、書くということから得られるゆるやかな中毒感は喫煙の習慣などに似て、全部止めることは難しいのかもしれません。

 

そう、ここ数年は妻がお父さんの過去をべらべら喋るので、思春期の娘はお父さんが昔、よくわからない怪しげな人たちと若気が至るような交流があったり、お父さんがカップリングの片割れとして出演する作者不明のBL小説が昔ネットにあがっていたことなどを知ってしまっており、居たたまれない。

 

が、娘はしっかり中二病なので、我が家は血で争うようなことはしていないというか、争えないものである。

 

というわけで自分にだって正直仕事にせよ家庭にせよ、ここには書けないあれやこれやの事柄はあるけれど、きっとあのころ日記を書いてたみんなもそうなんだろう、とぼんやり思っている。昔、良く話していたりしてたはずの何人かの人は、今はもう生きてるか死んでるかも、わからない。

 

来世はアイドルになりたい。

すぐに一年経つ


冒頭の写真は17年前のロンドン。新婚旅行の時のもので、親の代から使っていたオリンパスのPEN EE-2で撮った、と記憶している。

今見返すと、悪くない、というより、良いんじゃないか?と自己充足できる感じはある。


さて、何かうすぼんやり書こうと思う日はたまにあるけれど、そういう時は手元にスマートフォンはあれどPCなんかはなくて、そりゃ、書こうと思えば書けるのかもしれないけれど、スマートフォンで文字を打つのは億劫だから、やっぱり書くのはPCカタカタやってるほうがやり良かったな、なんてことを思いつつ、書かない、という結果だけが積み上がっていく。


気がつけば前にこのサイトを更新してからほぼ一年が経っていて、まあその前は何年か空くのが当たり前だったから比較的ハイペースな更新頻度とも言えるけれど、20年くらい前は毎日何か書いていたのでそこからは比べるべくもない。


それで、なんとなく、ほそぼそ書いてみようかと思ったのは、ここ一年で写真を撮ることを改めてやるようになったから。それこそ20年近く前に、なんかみんなやってそうだし、くらいな感じで少しだけやってたんだけど、2008年に子供が生まれた頃以降、子供の写真を撮るにしても自分のカメラで拙い写真を撮るより、スマートフォンの方がよっぽど外れない写真になったし手軽だし、そんな感じでずっと間が空いていた。


しかし去年写真を撮るのを再開したのは、なんのことはない、応援してるアイドルの子が写真撮ってて楽しそうだったから、みたいな、あまり世間様、例えば会社の人とか、には大っぴらには言えないような動機、つまり、おたく活動の一環のつもりだった。


という感じで再開した趣味のその割に、かなり自分の中のウエイトが増えた。


おそらく、昔、テキストサイトと呼ばれるものをやっていたのと本質的には同じで、文章も写真も、誰でも書けるし誰でも撮れるのがいいんだと思う。もちろんそこには巧拙やらセンスやら才能やら情熱やらタイミングやら諸々が絡んで、良し悪しみたいな判断軸が発生はするけれど、兎に角、書けば書けるし撮れば撮れる。誰だって。


そんなこんなで、近所とか電車でさっと行ける範囲の何かをよく撮っている。自分が撮ってるのがいい写真かどうかはわからない、というか、別によくはないんだと思うけれど、嫌いではない。

だから、今度からちょこちょこ文章と写真を載せよう、と少しだけ思った。続けるかは、わからないですが。

誰も見なくて丁度良いのか、誰かに見られたいのか

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経験則を基に言うと、ある程度観測可能な範囲の数の人に見られて、かつ仲間内みたいなのでわあわあやれてる時が、ジコヒョウゲンやショウニンヨッキュウをどうこうするコミュニティの内にある際に最も楽しいものです。


自分の場合はたまたま、個人サイトを持ってそこで文章を書く、しかも小説とかじゃなくて、主に雑文、もっというと、日記、というコミュニティに所属していたのですが、今のYouTuberとかのあれやこれやとかを見ていると、規模の大小の差は当然あれど、所属している人間たちの歪みみたいなものは変わらんなあと思います。といいますか、歴史を遡っても、いくらでも例があるのでしょう。そう遠くない過去で言えば、学生運動とかも似たよなとこがあったのではないかと推察します。


そういったコミュニティや運動の人間関係は、おおむね金と色恋沙汰で揉めて縮小してゆくのが常でして、そのあたりでも、今も似たようなことで似たような誰かが揉めているのだろうなと想像するのですが、ともあれ、そういう喧騒すら、他のコミュニティのそれを垣間見ると、なんだか懐かしく思います。


まあ何が言いたいかというと、ある程度人に読まれたいという欲求がゼロになったわけではないのでこのように何か書いたりもするのですが、現実的にこれを今知らない誰かが、あるいは当時読み合ってた書き手の誰かが読む可能性は実質ゼロに近いので、何も内容の良し悪しを気にしなくて良い文を書いていますし、そういうのは楽だなあと思う次第なのです。


本音の本当は、二、三人くらい読んでくれたりすると、嬉しいなとは思っていますが、コンスタントに更新しているわけでもなし、何か役に立つことを書けるでもなし、時流からすっかり取り残されたこの廃墟のようなサイトに誰かしらが訪れ何らかの感慨に至ることもないであろうことは、詮無いことです。


ここまで書いておいて全然関係ない話ですが、自分には中学生になった娘がいて、その娘の一人称が先日まで「ボク」になってました。その、考えうる黒歴史要素はだいたい踏んでくみたいなストロングスタイルに慄きましたし、「血」というものを感じずにはいられませんでした。


でもなんか、ジコヒョウゲンやらショウニンヨッキュウやらをどうこうするツールやサービスが増えて、その辺はよりカジュアルになってるのかなと思います。TikTokとか見てると、自分の年齢になると最早わかるようなわからないような投稿でいっぱいです。あと自分の年齢(おっさん)のアカウントだからか、流行りの投稿として、セクシーめに腰を振る女の子の動画、みたいなのがやたらおすすめされてきて、わからんなあ、と思っていますし、おじさんだからこういうの好きでしょ?と言われてるようで、なんとなくいやだなと思ってしまいます。


でも一応は見ます。

Twitterをアンインストールした(2回目)

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かれこれ2回目ではあるのですが、Twitterアプリをアンインストールしてみました。


Twitterは出始めの頃から比べると、だんだん、だんだん、目に入らないように努力していても、どうにもひどい場所になっていて、毎日のように、けっこうな数の人が、言葉に似せた悪意でもってだれかを傷つけているし、またそれを恥じるでもなく、しれっととってつけた理由をかざし、むしろ誇らしげに、弱い立場の人たちのあげる痛みの声をどうにかなかったことにするように揶揄して、向き合うこともなく、なにかしらの落ち度を殊更にとりあげて、だからすべては無効で、どうせ馬鹿が何かごちゃごっゃ言ってるだけだから、と、仲間内で肩をすくめたりせせら笑ったりして終わらせる。


そんなことを毎日やっている人々の姿がTwitterを見る限り、いくら避けてても何かの拍子に視界に入ってきてしまう。しかもそれをやっているのは自分と同じように良い歳をした大人が多いんだろうと思うと、なかなか哀しい世になったもんだと、してしまったものだと苦しい気持ちになってしまう。


というわけで、以前にも同じような理由でやったことがあるのですが、アプリを消してみました。


こんなインターネットが好きなわけではなかったのに、どんどん好きじゃない方に進んでゆくなあと思う。


ちょっと前に、面識はないのですがテキストサイトの頃にこの人は苦手だなあと思っていた方が、オブラートに包むでもない直球の女性蔑視や民族蔑視みたいなことをTwitterで呟いているのを見かけたのですが、その人とか今のインターネットを楽しめているのかなあ。そういうこと言って楽しそうにしてても、決して、楽しくはないと思うのですが、どうなんでしょう。

あらためて『銀河鉄道の夜』を読む

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物心ついてから読んだ『銀河鉄道の夜』。文章を読むと、頭の中で作中の情景を、アニメーションで再構築しようと試みてしまう。


もちろんその頭の中の動きの大元は、子供の頃、最初に出会った『銀河鉄道の夜』が、ネコを人間に見立てたアニメーション映画だったからに他ならない。


だから自分の頭の中のジョバンニは、まだ幼さのほうが先に来る印象の少年ではなく少猫だし、カンパネルラはいくらか大人びた見た目の少猫で、ザネリはいじわるそうな見た目の少猫のままになっている。



ある時ふと、このイメージからどれだけ離れて、あらためて『銀河鉄道の夜』を読みうるのだろう、という疑問が湧いてきた。



まずアニメではなく実写で、と想像してみる。ジョバンニとかカンパネルラとか、イタリアっぽい名前だから、だからあれはイタリアの街なんだろうし、登場猫物、いやもとい、登場人物は、イタリア人の少年たち、ということになる。



とすると、古いイタリア映画のようなイメージか、と思ったところで、自分の想像力の限界に突き当たった。そもそも「古いイタリア映画」なんてあまり知らないし、彫りの深い顔立ちのジョバンニやカンパネルラが夢幻のような銀河を進む、という絵は、ひとつの映画としては良さそうな感じがするけど、自らの中のイメージとしてはとても構築しづらいことに気付いたからだ。なにせ自分は日本人だった。



まあ、物語的には、死後の世界へ向かう幻想、ということで、やはり夢で見るような光景を想像するのが妥当ではないか、そして、登場人物は日本人で想像するとしっくりくるのでは、と思って、試しにジョバンニを自分の息子で配役してみて、少し年齢をあげた見た目を想像してみることにしたら、意外にしっくりきたので、その路線でいくことにした。


カンパネルラは、裕福ないいところの息子、ということで、高校の頃の同級生のK君、彼の少年期を想像して配役してみる。これもいい感じに頭の中で再生できそうだ。



できるかぎり、自然さと不思議さをイメージの中に同居させたい。だから、イタリアの街というより、現代の日本のどこか、おそらく東京ではない、少し郊外のような、そんな場所に、銀河鉄道が来る、そんな夢を見ていると仮定して、その夢の中の光景としてイメージすれば、当代の銀河鉄道の夜となってくるのではないか、と思った。



そうなると、タイタニック号の犠牲者と思しき青年と子供たちも、当代の銀河鉄道の夜では、震災をあらわしたものになるのだろうか。そういう想像をすると、なにか生々しさが増して、子供の頃銀河鉄道の夜を読んだ時のように、遠い過去の出来事として虚心で捉えることはむずかしい。昔の読者や、執筆された当時の作者の感覚ではどう捉えたものであったのだろう。



そしてまた、困難に突き当たる。当代の銀河鉄道は、きっと確実に蒸気機関車ではない。なんならリニアとかが来る。たしかに幻想の銀河を疾駆する鉄道は、光速なのかそれ以上のなにかなのか、そういった人智を超える速度で進むものかもしれないけれど、おそらくジョバンニやカンパネルラの魂の旅には、現実の超スピードは似つかわしくない。汽車と呼ばれた頃の列車の速度感、あるいは地方の寂れた区域を進む在来線の、鈍行の、現実の忙しなさと離れたような、旅にふさわしい速度というものがある気がする。




当代の銀河鉄道が、汽車ではなくリニアだとすると、ジョバンニやカンパネルラはだいぶ忙しない旅に出ているのではないか。きっと、座席も古びたものではなく、近未来的なシートのはずだ。



夢幻のような魂の旅。

であるにもかかわらず、妙にあくせくしている。はたしてそのような銀河鉄道で、彼らの魂は、たとえ物語が終わろうとも消化不良気味になってしまうのではないか。



銀河鉄道の夜』をあらためて読もうと試みたら、そんな余計なお世話感が否めないイメージを拭えなくなってしまった。




しかしこれは、昔の列車の記憶がまだなくはない自分が読んだ際の話で、その感じを憶えているから比較してしまうのであって、最初から汽車を知らない今の子供はどういうイメージをもつのだろう。



機会があれば聞いてみようと思う。なんなら、カンパネルラは米津玄師のイメージかもしれない。





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という文章を今日、夢の中で組み立てていたので、記録として残してみます。なにかの本についてなにか書け、といった国語の宿題を当日までやっておらず、というかそんな宿題があることを知らず、あと30分とかで書かなきゃいけない、という感じの追われてる夢でした。上の文章は、なんの本を題材にしようかと焦るなか、銀河鉄道の夜ならなにか書けるのでは?と捻り出して、夢の中で考えた文章の、わりとほぼそのままです。

エヴァ感想を書こうか悩む

20年以上前にエヴァの考察とかのホームページ(その頃はよく、サイト、というより、ホームページと呼ばれていた)に辿り着いてから、そこからはあれよあれよとネット沼、日記(テキストサイト)沼にズブズブ沈下した記憶のある人生なので、シンエヴァの感想は書かないといけんだろう、と、義務感に近い感覚があるのですが、とはいえ、書いたら書いたで長くなりそうだし、そのうえで、書いたからって誰が見るのか、という問題があったりもして、どうしようかなあと思っている。


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書くこと、は多分それなりに続ける

いつの頃からか、面白い文章、とか、格好良い文章、みたいな書けもしないものを書こうとすることを止めて、思いつくままに書くことを良しとするようになりました。それは正しく何かの発散であって、仕事で窮地にある時に書くメールのように思い悩みながら文を考える必要はないし、想いを馳せる人に宛てた恋文めいたメールだかLINEだかなんだかみたいに幾許かの期待と恐れを感じながらどうにか紡ぎ出した結果の凡庸な言葉である必要もないため、書くことに対する気が楽すぎるからだとは思いますけど、どちらかというと夜中に小さな小さな音量で延々と爪弾くギターのどうしようもなく適当なフレーズのようにただただ自分だけに心地良いことだから時々身体が文章を書くことを欲するのだろうという気がします。


今年になり、それなりに長く通っていたギターの教室を辞めたのですが、と、そもそも誰も知り得ないようなごく私的なことを唐突に書いたのは、身も蓋もない話すると純粋に経済的なコスト抑制のために辞めたのだってことをメモしたかったからかもしれませんが、そうではなく、辞めてからも下手の横好きでギターをへろへろと弾くことは止めてないから自分は多分結構ギターが好きなんだろうなってことをどこかに書き記したかったからの方が妥当かもしれません。


そういうわけで最近はどんどん歳をとっていくわけですけど、中年になって初めて作詞とか作曲みたいなことをやろうと思い立ち、曲の断片を作ることが楽しくなってきています。歌モノなので歌も自分でうたうよ。リリンだから元々お歌うたうのが好きなのです。って、それが近況であることをどこかに書きたかったのかもしれません。曲もどきは時々録音したりしてInstagramとかに載せてるけどここにはきっと多分載せません。