冷静とモーニング娘。の間で考えてみた(すいませんすごく長い文章です)

情報発信元・id:kokoroshaさん:http://d.hatena.ne.jp/kokorosha/20040510#p1

参考(一気に参照してごめんなさい)
http://d.hatena.ne.jp/twisted/20040511#p1
http://d.hatena.ne.jp/manga/20040511
http://d.hatena.ne.jp/achaco/20040511
http://d.hatena.ne.jp/type99/20040512


 この話は題材がたまたまモーニング娘。だっただけで、言い換えれば(kokoroshaさん的に言い換えて許されるのかそうでないのかよくわかりませんが)、さかもとさん(id:twisted)の言う「酢豚に入ってるパイナップルは是か非かみたいな話」みたいなことだとは思います。でもまあモーニング娘。好きな自分としてはなんか思ったところを書こうかな、と…。その、kokoroshaさんの話がとても興味深かったので…。書こうと思うのが自分の中ですでに間違いというか、おこがましいというか、不愉快に思われるかもしれないというか、お前帰れみたいな雰囲気を醸し出しそうな気もしますが。あと、後述の理由上、結局自分の話をするしかなくて、さらに長文になればなるほど「必死だな」感が出るところもまずいところです。

モーニング娘。に意味を過剰に付与することに関して
 これは、モーニング娘。周辺事情に対し、過剰な(大仰な、人によっては「実態以上」とも取るだろう)物語性の付与をしたがる人が多いように見られているということだろうな、と解釈しました。それが一番好きな人もいるかもしれません。僕は、といえば、モーニング娘。を好きな根っこの部分の理由はそこではないと自分では思っています。それについては過去何回か書いていたりしますが、別に開示しなくてもいいでしょう、きっと…。っていうかすごく長くなります。かいつまんでいうと僕はモーニング娘。自体、そしてモーニング娘。メンバー(のうち特に石川梨華さん)から感じられる気概が基本的に好きで、曲も、色々な他のジャンルのアーティストと同列に、あるいは、より楽しめるのが多いというのが好きな理由です(kokoroshaさんにとっては、なぜ他と同列に、あるいはそれ以上に好きになれるのかがもうわからないんだよ、ということなんだろうとは思いますが…)。曲は嫌いなものやあんまし好きじゃないと思うのもあります。
 だけどその昔、僕はそれこそ意味をモーニング娘。に対し、意味を過剰付与していると取られておかしくない文章も同時に書いたりしていました。それらは過剰付与なんて思ってもおらず本心から書いたのもあったし、本心以上に過剰に書けば面白かろう、と思って書いたのもありました。これに関しては、http://d.hatena.ne.jp/manga/20040511さんで「その昔テキストサイトの人たちが…」と触れられている辺り、http://d.hatena.ne.jp/type99/20040512さんで「確かに2001年から2002年くらいまでは、過剰付与のゲームとして消費していたテキストサイトが…」と触れられている辺りに自分も当てはまる気がします。
 ということもあり、傍から見ると、僕の「本当に好きな理由」なんか実は適当の嘘っぱちで、それすら本当はただ過剰に意味を付与して気の利いたことを考えてるつもりで楽しんでいるだけなんじゃん?って言われそうな可能性に対して、いやそれは客観的に見て●●だから好きだし素晴らしいんだよ、と、僕は自分の好みを排した基準(明確な理由とされるもの)を提示出来なくて、だから突き詰めると言い返す術を持てない気がします。自分の好みを排した基準を提示できない件に関しては後述します。自分の好みの理由提示はともかく、好みを排した基準は提示できなくてもいいとも個人的に思っています。
 ただ、好きという衝動ありきの過剰付与であり、過剰付与ありきの好きではないです。それってニワトリかタマゴかってやつだ、とされちゃうかなとも思いますが。でまあ、どっちが先にせよゲームには違いなくない?って言われるとこれまたあんまり返す言葉がないです。要するに、何故好きか、「誰にも納得のいく」説明をするのはほんとうに難しいなあと感じています…。
 ちなみに、id:achacoさん言うところの「サブカル好きのモー娘。好き」という括りは、ネットの、すごい局地的な部分だとマジョリティっぽいと思っています。

■「●●好きと●●好きが頭の中で同居する」ことに関して
 kokoroshaさんの言う「金井美恵子とかスティーブ・エリクソン」のくだりに関して言うと、kokoroshaさんもただ「モーニング娘。がそれらと頭の中で同居するのがわからない」と仰ってるだけで、別段モーニング娘。が「わからないからダメ」だとか怒ってるわけじゃないのが好ましいと思いました*1。kokoroshaさんがそう思うことに関しては、僕は「モーニング娘。好きな人」であるけど勿論悪い感情は抱きません。当たり前ですが。そして金井さんスティーブさんとモーニング娘。が同時に好きという話に限定すると、僕は金井さんスティーブさんが好きというわけではない(読んでない)ので、そこに関しては細かく書くべきではないのだと思います。
 けど、この話は「●●(●内に入るのはこの際多分なんでもいいと思う)と●●(●内に入るのはモーニング娘。でなくとも多分いいと思う)を同時に好きなことがわからない」という話に変えることも可能ではないか、と僕は思っていて、それなら書けるかもしれません。こうなってくるともう、kokoroshaさんの「金井さんスティーブさん」のくだりとはもう完全にずれてくるっぽいので、それはほんとごめんなさい。もう多分kokoroshaさんの元の話とは関係ない話で、ほんとに自分の話でしかないような気がします。すみません。
 わからないと揺るぎなく表明するのが「僕には」出来ない感じです。なぜなら僕は、以下の二つのケース、両方を鑑みて、それがなかなか出来ないからです。
1.●●と●●の間に共通性、関連性、がないと思う、同時に好きになる要素が「相反している」と感じる場合 → これは自分にもあり得ることです。けど、僕は、「相手がそう言っているのだからそうなのだろう」と純粋に思ってしまいます。というか理由を聞けば、それらはその理由でこの人の中で相反するものではないのだな、と自分なりに受け入れます(念のため、これはkokoroshaさんが受け入れる努力を怠っている!と書いているわけではありません)。相反しないのはおかしい、と思えないことについては、以下「2.」において僕が取る立場もあり、半ば必然的にそうなります。
2.●●と●●の間に「●●>>●●」という「明確な基準」があるはずだから理解できない、という理由だった場合 → 例えば芸術というジャンルにおいて●●と●●の間にある、自分の好みを排した形の「明確な基準」を一般化できないと僕は感じています。これが大きい。もうひとつ例えば、●●は技術面などで明らかに劣るじゃないか!と言われ、自分もそれに納得している場合でも、「2.」を前提とした「1.」の理由から「でも●●と●●を同時に好きな人がいるのはわかる(気がする)」となります。ただこの僕の立場は、「何が素晴らしくて何が素晴らしくないのか」ということについて自分の好みを排して証明「してみせる」ことが事実上不可能です。けれど僕はそれでちょっと困ることもあるけど究極的には困っていません。
 また、同時に好き、というのは、同時に「どの程度」好きかということも関わってくると思いました(同時に好きといっても、それってどっちがより好きなの?みたいな話です)。

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最後に追記:まあ、僕が上に書いてあるようなことなんてとっくに考慮した上で、それでも「わかんない」んだよ、ということかもしれないですよね…。好ましいと思った人がなんか違う星の人かもしれない!それっておかしくない!?って事態に遭遇すると、僕も、うわーわかんねーわかんねー、って言いそうな気もします…。

*1:この件に関してid:type99さんと同意見です