THE LAST NIGHT

 だから、すでに麻痺している僕が特に、何かを言うべきでもないかもしれないなあ、と思います。ただ、今から書くことは別に意味を為さないことかもしれませんが、気分がそうなので書きたくて、書きます。安倍さんの卒業発表の時は書かなかったけど、今書くのは、自分の中ではこっちの方が大きいからです。やっぱり、四期メンバーには思い入れが…。
 さて、卒業に対する違和感もともあれ、ただ一点、僕にはどうしても気になることがあって、それは、卒業の後のことです。
 僕はアイドルに明るくないですけど、グループから脱退してその後フェードアウトすることはアイドルに限らずいくらでもあることだろうし、脱退後のフォローが一応存在する(こともある)*1ハロプロはマシな方かもしれませんが、卒業後のフォローにちょっと気合いが感じられないと思います。後藤真希を例に挙げると、良い曲・おもしろい曲をそこそこ出してるとは思うんですが、やっぱ弱いと思うのです。ライブがすごいんだぞ、ということらしいですが、僕には届きません。行ってない自分が悪いとも思いません。例えば「ライブでソールドアウトを連発するものの、アルバムのセールスでは苦戦…」、これは、売り上げが低下したバンドのライナーノーツなんかによくある常套句で、それは、そのバンドの作品が、良し悪しすら別として訴求力を持っていなかったことを示しています。後藤真希がそのような状態なのだから、後は推して知るべし、という風になっているように見えます。
 これらのことって、全体的なハロプロ気合いの低下からスパイラル状に導き出された結果だと思うんですけど、やっぱどうしても、訴求力のある曲、購入に至る障壁を崩す曲を出してない、もうこれははっきり言ってしまおうかなと思います、これってノスタルジーだとも思うし今でもハロプロはいいなあって思う曲も出してるけど、僕を無理矢理引き込んだ2000年〜2001年頃の曲みたいな出して欲しい、それが素直なところです。当時の曲がそこまで障壁を崩してたのかって話もあるけど、まあ今より崩してるでしょう!
 特に卒業後は、普通にファン内部向けにプロモーションしても売り上げは低下するし、本当、卒業後こそもっと考えるべきじゃないかなと思うのです。そもそも、「うわさのSEXY GUY」とか、あれ、オタの人じゃないと買えないと思うんですよね、僕は買ったけど、買い辛かろうと思うんです。原色GALとか、おもしろくて好きだけど、派手に行くべ!って言われても、そりゃ行かねえよ、っていう。どうしてアップフロントだかゼティマだか、そういう狭い方狭い方へ向かってゆくのか、よくわかりませんけど、いいのかな? まあ僕が何言おうがどうでもいいことだとは思います、けど。

 で、以下、当たり前のものですが、訴求力に関して大きく分けた図式を示しますと、


曲・プロモーション/ケース

1

2

3

4




×

×

プロモーション


×


×
 1は、曲もプロモーションも○の場合、これが理想形。2は曲が○でプロモーションが×、売れる可能性はあります。3は曲が×でプロモーションが○、売れる可能性がありますが、一過性のトラップに陥る可能性も大。4は曲が×でプロモーションも×、これはだめでしょう。
 現在のハロプロは、厳しく言えば4の状態にあるように見えます。ひいき目で見れば2でしょうか。例えば、曰く「スクランブル」が有志による「ハロプロ楽曲大賞」の1位に輝いたですとか、そこで「赤いフリージアは一般層にもアピールした」、という意見も出たとのことなんですが、確かに二曲とも良い曲です、が、もっとこう…ね〜え? うーん、それらの曲が街でヘヴィローテーションされてる姿が想像できないというか。それで、曲をヘヴィローテーションしてもらうためにプロモーションに励む、んじゃなくて、有無を言わさずヘヴィローテーションさせたらすげえなあ、って思うんです。当たり前だし、ナイーブな理想論すぎるかな?これって…。でも、ほんとにそう思うんですよ!
 どのジャンルのオタでもそうかもしれないんですけど、モーニング娘。が好きな人たち、とりわけオタの人たちって、自分の好きなものを、世の中に大いにアピールしたいというか、他の人に、「すっごいね!」って言わせたい、その傾向が強いのではないか?と思うんです。そんでもって、その対象、モーニング娘。が、世の中を席巻しながら(それは彼女たちを僕らが消費することによって成り立つ)、その上で資本主義や世俗的なものにも毒されてないだとか、笑い飛ばすとか、そういう聖域の体現であることすら同時に夢想したり、ほんとうにわがままなんだと思います。でも、そういうことを、やってくれそうなグループなんだよなあ、彼女たち。今でもまだそう思うことが結構あります。だから、卒業の是非とかはわかんなくて、寂しいよなあ、って思うけど、結局、吹っ飛ばして欲しいんですよね。彼女たちに。だから、卒業しても何かの形で残って、いろいろ吹っ飛ばしてくれるのなら、卒業が不可避としても、それでいいです。
 あるいは、これもよく言われるように、そのまま、僕らの前から消えてしまう方が美しいのでしょうか? “綺麗なまま”? いや、今までだってそもそも何をもって“綺麗”なのかは僕にはわからなかったし、残る方が僕は好きです。

*1:卒業後のフォローは在籍時の知名度に依存するのは仕方のないことではあるものの