あと髪切ったりフィルム買ったりしてた

 コンラン某なる面妖な名を冠するショップ、要するに店、まあ家具屋といった風情なのかな、で、念願の椅子を買ったのだ。念願の椅子、というと、ハハア、あたかも綾川(僕のことだ)が以前から欲しい欲しいと狙っていた黄金のような煌めきでもって彼を魅了した椅子がそもそもあって、艱難辛苦労働の末、その黄金のような魅力の、言い換えるならヴィダルサスーン言うところの小悪魔的魅了性を有した椅子を購入したのだな、と思われるかもしれないが、そうではない。我家には端から椅子がなかったのである。つまり、「念願の椅子」がアプリオリに存在していたというわけではなくて、というか、今の言葉の使い方がどことなくおかしい感満載なのはさておき、いや、一度そういった類いの言葉を強引に使いたかったものだから……とにかく、「念願の椅子」があったのではなく、椅子自体、座るという機能をもった物体自体を僕は渇望しており、本日買いましたよ、という話なのだった。ここまでの記述は多分1行で済む話であるから、読むのは時間の無駄といった風情だろうし、なんてものを読ませるのだこの唐変木と言われても詮無いことなのだが、まあそういう、急がないといけない!などと思ってしまうのも、「可及的速やか」のみを最上の価値とし、その価値を執拗に求め続ける現代社会の病理といった趣であるに違いないから治療の一貫のつもりで読んでほしい。そう、レッツスロー日記 with ミー、夢 with You、と僕は言いたい。今の僕は、伝えたいことがあるんだと歌った小田和正と志を同じくしていると言える。
 というか僕はスローなんちゃらという言葉は相当な勢いで嫌いなのだった! いやしかし、まあ、椅子のない生活、というのも良くない話であろう。それは非人の生活だ、などと罵られても口からぐうという音を出すくらいしか抵抗手段がないのだが、実際問題、暗い夜中に床の上で体育座りでもって座して、椅子のない生活や、ひいては世界などを呪いながらインターネットをやっているシチュエーション、というのもまずいわけで、もうすぐでサイトのカーソルがいつのまにやら十字型に変化する可能性があったとでもいえば事の重大さがわかってくれることと思う。僕はわからないけど。
 で、まあ、買った椅子なのだが、「デザイン性」なる謎めいた概念、これかっこよくねえ?という魔性の意識に囚われふらふらと購入したものというのもあって、ちょっと、っていうか、かなりすぐ壊れそうなスメルが漂っているのがお茶目なところだ。お茶目ということにしておいて欲しい。今も座ってて、みしっていういい感じの音がしたよ。壊れそうなものばかり集めてしまうガラスの十代を過ぎ分別もついて年を取ったはずの僕なのだが、ふぞろいなオシャレ心は今でも僕をやるせなく悩ませているというわけだ。ただまあ、壊れたら壊れたで、地面に叩き付ける用の帽子片手に上島竜平の真似を披露しに店に行くのもやぶさかではないので、実はきちんと後の事を考えた上での購入と言えるだろう。ぬかりはない…。それが大人になるということだ。