止まらない 愛は もう止めちゃいけない

これから「奇跡の香りダンス。」に関してものすごい与太話(話の根拠は僕の妄想)を書きます。ものすごいというのは、書いてあることが素晴らしいということではなくて、根拠はないのにそれらしく書こう!ということです。

●参考URL
http://members.jcom.home.ne.jp/type99/logs/2004_02_01_index.html#107562201280231762
http://d.hatena.ne.jp/hwtnv/20040131#1075482137
http://d.hatena.ne.jp/hwtnv/20040128#1075215882

●イントロ
九十九式にて指摘されているように、イントロをBOφWYと結びつけるなら、これは「NO N.Y.」を想起させる音、である。さらにイントロの要素を強引に分解してみると、「奇跡の香りダンス。のイントロ=ビート・ロックのギター+「桃色片想い」「ね〜え?」に見られる松浦キュート路線+HOTEI的デジ・ロックのリズム」っていう風になりそうなんだけど、イントロがこの曲を象徴している気がする。それに関しては後述。

●Aメロ

もったいぶらない DESTINY
遊び仲間でも たった10分足らずで
奇跡の恋となる

離れて気付いた I MISS YOU
きっと遅くない まだ やり直せる
DO THE LOVE

LET'S TOGETHER NOW

絶対的 PRIORITY 恋が戻ったら
たった1分だけでは 足りない恋となる
見えない部分が JEALOUSY
きっと 巻き起こす 時間に逆らわず
DO THE LOVE

LET'S TOGETHER NOW

 そうだよね、奇跡の恋になったりするよネ!というAYAYA(と見えて実は寺田ビ♂ト氏だったりするのだろうが)のメッセージが込められているというか、「もったいぶらない DESTINY」「離れて気付いた I MISS YOU」「見えない部分が JEALOUSY」などの部分がすぐれてビート・ロック、邦楽(歌謡)ロックの歌詞フォーマットに沿っている。つまりオブジェクトとしての歌詞・意味を語らない歌詞、の体裁だ。抱き合う指に眠れないJEALOUSY、なんである。また、「絶対的 PRIORITY」というのもおもしろい歌詞の乗せ方だと思う。
 なお、「もったいぶらない DESTINY」はまだ意味が通じるけど、それこそBOφWYなんてほんとに未だに意味がわからない歌詞がたくさんあるから困る。例えば、

マーマレードな恋だから
フェミニストのままじゃいられない
いつでもそばに居て欲しいのサ
I Think Just Now!
BOφWY「JUSTY」より

これなど、「マーマレードな恋」とはどのようなものなのか、もしかしてママレードボーイなのか、「フェミニストのままじゃいられない」というのは一体全体どういうことか、またどのような文脈で「フェミニスト」を使っているのか…など、疑問は尽きない。ただ、そういった言葉たちが、意味の濃度を下げるようにオブジェクト化されることにより、我々が普段囚われている意味の束縛より解放され、「あ、意味はわかんないけどなんかかっこいい…」という按配で、「ヒムロック」と我々は、言葉の意味を超え、意味が“実感として”一意に定まりにくいHIMUROCK言語のもと、一体となる。つまり「言語の意味を超えたヒムロック存在に回帰する快楽」がそこにある。そしてそれは今回の「奇跡の香りダンス。」にもベースとしてある要素なのだ。って、また適当な妄言を飛ばしてしまいました。ご容赦ください…。

●Bメロ

この街は 寂しくて 神経質 だから
ぬくもり 感じたいわ
YOU ARE MY ANGEL
髪を撫でてよ (VERY PRETTY DANCE)

この街は 若者の  涙で 出来ている
居心地 悪くない
YOU ARE MY ANGEL
ずっと ここにいて (VERY PRETTY DANCE)

 メロディ的に言えば、この部分は氷室の「SUMMER GAME」のBメロに近似している。また、“YOU ARE MY ANGEL”だが、言わずもがな、氷室の「ANGEL」に対するオマージュであろう!
 また、自分の想い人を“ANGEL”に喩えるのはロックにおいても伝統的な表現だろう。エアロスミスもその昔、“YOU ARE MY ANGEL COME AND SAVE ME TONIGHT”と歌っていた。RADIOHEADだって「Creep」で“天使のような君に比べて俺はゴミさ…”なんてやってた。そういやBON JOVIも“天使の笑顔、それがオマエの売りつけるもの。オマエは俺に天国を約束し、その後に地獄へ落とすのさ。ああ、オマエは弾丸の込められた銃みたいだぜ!”なんて言っていた。胸毛濃いのに。
 まあジョン・ボンジョビの胸毛の濃さはともかく、さらにヒムロック≒アヤロック的に重要なのは、「髪を撫でてよ」という歌詞もさることながら、「(VERY PRETTY DANCE)」の部分だろう。“とってもかわいいダンス”がどう関係してくるのか…髪を撫でられAYAYAがVERY PRETTYに踊る、という情景も当然浮かぶのであるが、しかしこの歌詞もなんとも唐突だ。繋がらないといえば繋がらない。このように、冷静に見ると繋がるようで繋がらないかもしれない、という言葉をヒムロック≒アヤロックの強度でもってゆくあたりも“らしい”演出だろう。

●サビ

止まらない 愛は もう 止めちゃいけない
SPEND THE NIGHT そして ララバイ
恋が WOO 香りだす

止まらない それは もう どこにも行かない
OH YEAH! VERY PRETTY DANCE
OH YEAH! VERY PRETTY DANCE

 「SPEND THE NIGHT そして ララバイ」の、メロディへの言葉の乗せ方が秀逸。ここまで来る頃にはすっかりアヤロックにやられているので、「止まらない 愛は もう 止めちゃいけない」なんて言われると、そうだよ!その通りだ!なんて風に心が躍るのである! それはまさしく暴威といって良い、ヒムロック風味の松浦ポップ暴風圏突入!といった勢いを持つこのサビに僕はやられたのだ。

●ギターソロ
 これは言わずもがな、HOTEI的だ。ただし、布袋的というよりはHOTEI的だと思う。燃える。

●ラスト
 ラストにあややが発する「サンキュー!」は、極めて明示的な、この曲は氷室ですよ〜、という最後のわかりやすい宣言である。

●全体的に見て(妄言)
 もちろんこの曲はBOφWY・氷室的要素が満載なのだが、イントロの諸要素の融合や布袋というよりHOTEIなギターソロ、リズムの鳴らし方がどちらかといえば氷室よりはHOTEIっぽいことを鑑みると、氷室+HOTEIという今はもう叶うことのない饗宴をあややが再現・再構築した、と取ることも出来ないだろうか? そう、氷室は氷室の道を、布袋はHOTEIの道を往っているのであるが、ここに、松浦亜弥という存在を介して、氷室とHOTEIが融合したとも見ることが出来るのではないだろうか。ただ松浦亜弥は、媒介・依代としての役割だけを果たすわけではなく、この曲が松浦亜弥の曲としてしっかり鳴り響くところにやはり凄みがある。
 そして、最後に言いたいことは、要するに僕はこの曲がだいすき。
追記:あー大事なこと書き忘れました。ビート・ロック要素、「氷室+HOTEI」要素があり、その上松浦亜弥はキュートだ、となると、つまりとても強いじゃないか!と思います。まあ言うなれば「破壊力=スピード×体重×握力!!!」みたいなもんで、「奇跡の香りダンス。力=あやや×氷室×HOTEI!!!」みたいなものだと思います(ちょっと違うけど)。