僕の日記を守って

 疎遠になった日記との関係を再び、プロゴルファー猿よろしくこの手に勝ち取るため、ハンドルネームも「日記」にしたし、先日、このページのヘッダ画像も変えたのである。労働とかいう珍奇な名前のツンデレ子に追われているという事実が変化しそうにないことに加え、のみならず、さほど変化しない自己の内面をハンドルネームやヘッダ画像といった外郭的要素でとりあえず埋めようという行為は、やはり浅はかで、根源的な解決を伴わないのであるが、あの子、僕がロングシュート決めたらどんな顔するんだろう、といった風情で外面的なアピールをすることで日記に再度アプローチし、日記からの関心/歓心を得るために邁進する様は、an an的処世術を衒いなく実践してしまうような痛ましさといじらしさがあるな、と我ながら思う。いつだって、日記書きにとって、問題なのは、あの子――つまり日記――は僕が会心の日記を書いたらどんな顔をするのであろうか、ということなのである。そのためには、ヘッダも変える、ハンドルネームも変える、そして道化ともなろう……このように、シャア・アズナブルのような面持ちで、そう独白する男がつまり、こんにちは、こんばんは、僕こと日記(あとちょっとで三十路)と申します。

 というわけでよろしくお願いいたします。そう、このようにまるで犬のように走るUnderground、右往左往し迷走する僕の日記は、なかなか更新できないくせに、内実を伴わないまま表皮的記述やヘッダなどといった外見のみが変化するだけなのだから、劇的な変革を伴わず更新頻度の下がるサイトは進化の終結点、要するに冬月教授言うところの死、デストルドーの形而下発露、MMR的な人類の行く末を思わせる。だから僕は、更新できないたびに、できたとしてたいした内容ではないたびに(そしてそれは、いつものことだ!)、なんだってー!!と心中叫び、僕の日記を守って…とも呟きたくなる。だからせめて、僕は、ムーンドリームならぬ日記ドリームの導入も検討しなくては、との思いを強めていて、夢の啓示を得た上でムー誌上に「前世相互リンクしてた仲間募集」とか出稿するくらいの勢いが、今の私には必要なのかもしれない。


 そんな中、ここ数ヶ月ほど私の頭を悩ます、私と日記との関係を遠ざけたツンデレ子、仕事・労働ちゃんの暴威ときたらどうしたものか、と思案していたところ、ああ、あれは、あの労働は、いわゆる振り回す系の女の子に近いのだな、という解釈が非常にしっくりくることに気がつきました。だってさー、あのお客様っていうかあいつ、週単位、日単位で言うこと違うし、あと評価基準は「クオリティ」ていうより「いかに私(クライアント)に尽くす業者か」みたいだし、なんだかもう…。それとツンデレ子とは言うが、より正確に言うと「ツンデレ」の「デレ」がない、というか、ツンツンしているばかりなので、この難局を「あの仕事は一種の萌えキャラの相手をしているようなものである」と考え、仕事に無理やり萌えてみることで乗り越えようとしている私の意気も阻喪するというものですよ…。なんてな感じで順調に日記で愚痴を飛ばす環境(略してGUI環境)を作り出す私に幸あれ、ヨーソロー、っていうわけで、今日は親から珍味カラスミをもらって、それがささやかな幸せでした。