10月3日の日記、プログレッシブ

仕事はまあそこそこ。めざましテレビでユーのアクエリアスホロスコープ的に見て最悪の1日なので気をつけてよろしく、みたいに言ってて実際まあ概ねそんな感じであったのですが、占いとかって気をつけよう無いしどうしていいのやら、大人になってもわからないことは多いものです。

そんなことより、帰ってから録画してたおしゃれイズムと、ミュージックエアのプログレ特集を見てます。わたし、所謂推し的なそれ的なメンバーだと、なんとなく妻と似たような感じを受ける橋本奈々未さんになるのですが、外番組(おたく的表現)に出た時の西野七瀬さんの良い意味でのヤバさったらなく、今回もこれSHIBITOが出るわ、と思いましたです。これは人気出ますよ。仕方ない。だって可愛らしいもの。あと絶妙なバランスで危うい感じするし。大学のサークルとかにいたら本人の意図の介在が微妙なところで刃傷沙汰とかありそうね、とか常々思ってるのですが、ええと、念のため、こういう書き方しても西野さんのことは貶してませんで、むしろかなり好きです。ただ、とかって書くと、読む人によってはこういう書き方ってふざけて見えて、立腹の末お前のリップを永久に閉ざしてやろうかと思ったりするんじゃないかなと思うのですが、アイドルについて書くってそういう難しさある。ぼくの好きな●●さんとあの人が好きな●●さんって、像がちょっと違ってたりして、その差分が時に面倒なのよ。世間的に見ればマジでどうでもいいことだったりするけど、本人たちは真剣なのよ。それってあなたたちは笑うかもしれないけど、私はそれを笑えないわ。

って、うっかりアイドルおたくの叙述トラップについての話になりかけましたが、ともあれおしゃれイズム、良い番組でした。ちなみに西野七瀬さん以外には白石麻衣ことまいやんさんと生駒ちゃんが出ており二人とも大変よろしかったのですが、西野さんのことをなぁちゃんとか書くとさすがに妻子持ちのアラフォーおっさんが記す文字列としてはパンチがあり過ぎる感がして、書けません。いや書いたけど。ていうか周りにあまり乃木坂ちゃんとか欅坂ちゃんとかの秋元康坂道系の愛好者がいないイメージなのですがインターネットの片隅でぼつぼつ書くおじさんがいてもいいじゃない、ということでプログレ特集見ながらこれ書いてます。あとプログレとか書くとほんとにおっさんっぽいのですが、実際おっさんなので仕方がありません。

しかしまあ、プログレとアイドルって組み合わせ、あんのかしらねえと思って検索したら数件ほどありそうでしたが、プログレッシブメタルって感じの音が主流?なんですかね。それはそれで、なんですけど、そもそもが食い合わせ悪そうなジャンルだしプログレ突き詰めても確実に売れない気はします。あ、ソフトマシーンだ、わーいいろんな楽器がバタバタいっててかっこいいー。

10月2日の日記、遺跡

年取ってくるとなかなかこうして個人的な文章をwebにアップロードすることもなくなってくるわけだけど、まあそりゃそうだ、今これなんか娘息子寝かしつけてその横で書いてますけど、大人はまずそんなことしないしする必要もないしもっと言うとしない方が良いわけで、そりゃサイト更新とかしなくもなりますわね、奥さん

奥さんといえば、今日は妻がセカンドなデイでドランク、日本語で言い直すと二日酔いらしく、なんだかんだの調整の結果わたしが子ども二人連れてあるくことに。

それじゃあってんでわざわさわ電車で数駅先へ。ここには弥生時代の集落遺跡といわゆるパークが一体化した公園があるのでそこにまず行く。まあなんだ、縄文時代初期から弥生時代初期までは1万と3000年くらいかかってるようだのに、そっからせいぜい2000年くらいで高床式倉庫とか竪穴式住居とか使って暮らしてた生き物が今じゃスマートフォン片手に非実在ポケモン探してる奴とかいるんだよなあ。ここ2000年くらいの人類やばいなあ。と思いながら子らと遊ぶ。

その後はショッピングモール内の有料キッズ遊技場へ。よく見ると、娘が来年から年齢制限で入れなくなるようだ。今日は別段良いけど、もうそんなかなあ、この分じゃそのうち結婚相手連れてくるとか意外と早いんだろうなあ。ええい、君にお父さんと呼ばれる筋合いはない!(練習)というか、そういうシミュレート系の空想で脳リソースを消費してたら眠くなって少しだけ寝てしまったけど、子どもらは楽しんだようなのでよしとする。

本屋で娘のための日本の歴史漫画、縄文弥生時代のやつと、小学生向けのラノベを購入。アリス、吸血鬼、呪いの人形、ご当地ゆるキャラ、など娘が好きそうな要素がちりばめられており、その本を選んできたあたり、なんとはなしの遺伝子の影響を感じなくもない。

10月1日の日記、休日の。

眠れない午前2時に苛立ちさんがドアをノックするのが小室哲哉の曲なんであって、小沢健二がドアをノックするのは誰だ?と問うたその答えは小室哲哉のことだったと思うのだ。要するに何が言いたいかというと昨日は眠れない深夜を過ごしておりなんとか寝るとすぐ朝になっていたのであって、非常に眠かったのだが、まず、午前中は娘を塾に送った。

娘の塾の時間の間はブックオフへ。バンドスコアいいのねえかなと漁るも収穫はなし。やたらビジュアル系のバンドスコアが置いてあったので、この街の誰かが脱ビジュアルしたのかもしれない。

最近、自分の世代的にか環境的にか、「無かった」、つまり聴くことが恥ずかしいように思ってたアーティストをよくブックオフで買っている。具体的にはRADWIMPSとかBUMP OF CHICKENとかそういう2000年代以降の邦楽である。世代的に、この人たちを受け入れるのはそもそもはしんどいのだけど、そろそろ自分の年齢的に、恥ずかしいとかそういう感覚がなくなってきているので、あとはセカオワあたりを普通に聴けるようになったら一丁上がりかなと思っている。ちなみにセカオワはまだ抵抗感があるが、そのうち聴けるようになるだろう。

娘の授業が終わる頃、塾へ。講師が毎回、今日やった授業内容やポイントなどを話すのだが、それを傾聴する。

娘はいつの間にやら小2である。勉強の好き嫌いはジャンル次第で割とはっきりしているかなという印象。今日は、妻が用事が続き、わたしが娘と息子を引き連れる必要がある。妻と息子を待つ間、塾の図書コーナーで日本の歴史漫画を読みだす娘、平安時代の巻が気に入ったようで後での購入を約束する。そろそろ、そういう歴史漫画とか読ませても良い頃なので、好きな時代から読ませ始めようと思う。どうせ興味あれば読むし、そうでなければ読まないだけなので、娘が読みたいと言った本は極力買うようにしている。

息子と合流し、昼食後近くのデパートへ。本屋で平安時代の歴史漫画を買う。その後、息子のダンス教室へ移動。

ダンス教室。息子は幼児なので、まだ気合の入ったものでもないのだが、ところどころふざけながらも一応は先生の所作をなぞろうとするところなどは、我が子なので可愛らしいという思いや、よし、良くやったゾ、という感心に繋がる。

その後、何処かへ遊びに行こうかと考えるものの、娘が足を負傷したり蜂が止まったの止まらないので騒ぐなどしてハートがブレイクしたため家に帰ることに。

子供達は家の中で遊び、後、わたしは夕飯を作り食事をさせ、入浴させ、就寝させる。娘は寝付きよくすぐ寝るのだが、息子がまだ寝ない、という状況で妻の帰還。しかしながら酒精と親交を深めた後だったようで、結局、子供が一人増えたようなぐだつきを見せたため、息子共々寝具へ早々に叩き込み就寝方向へ舵を切った。


わたしはというと、実は仕事が残っている。家事育児的な仕事ではなく、賃労働的な仕事のうちある部分が残っているのだが、こうやっておもむろに日記を書きはじめた次第であるし、今日は絶対に仕事なんてしてやらない。してやらないんだからね。明日やろうが馬鹿野郎なのだとしたら、わたしは馬鹿にでもなってみせよう。

9月30日の日記、ふつうの。

今日は普通の時間に出社。事業本部の月次集会、という名のアジ演説を聞く。聞いてはいた内容通りだが、またぞろ組織を変えるため、その説明とか。ここは、もう何年も問題から目を背け続けている組織だと思うので、案の定空洞的な話が続く。誰も地に足がついた話はしない。というかどうも、わたしが、いや、わたしたちが地面だと思っているのは、今の上位管理職連中にとっては地面ではないらしい。まあでも、わたしだってアジ演説はしたことが何回かあるが、あれはおそろしいもので、いざそちらの立場に立つと、そのようにドーナツの中心めいたことを言わざるを得ないような圧が発生するものである。見えてるものを見えないふりをしたり、不安から、信じられないものを信じ込んだりするものである。ああ、別部署の部門長が、コンサルファームが作ったキーワードをなぞっている。そして、別の話になるが、挨拶をもっと明るく、など話している。確かにこの業界、顧客が自社オフィスに来てもろくに挨拶もしない、なんてことはあるし、ウチもそうだろう。それは確かに反省すべきだ。

ただ、そう言うお前はこっちが挨拶してもろくに返して来やしないのをわたしは知っている。だから、あなたの言うことはほとんど誰もまともに聞こうとしないのだよね。

といったハートフルなシーンが続き、集会は1時間ほどで終わる。どうしてこうなるのか。端的に言うとみんな、ちょっとずつ面倒くさがって、その積み重ねがまっとうな議論や対話の時間を削って行くからだ。結果、まともにやるには時間がなくなる。そして、目先の小さな小さな政治や辻褄あわせに終始するのだ。

いずれにせよ、ある程度以上の規模の組織で数字責任を持つ管理職なんて、いびつな精神でないとやってられないのだが、最もいびつなのはそのいびつさに本質的には気付かないでいられる能力を持つこと、かつ、それこそが短期的には有用であることだ。

集会後、社内S事業に関する打ち合わせ。先月炎上の火消しで入ったのだが、なんとか大破綻を防いでギリギリで進めていた仕事の納期が急に延期になった。事業運営上はどうかと思ったが、直近では助かる。素直だが筋の良くないディレクターとやたら外罰的なディレクターの管理で手一杯だったので、正直ありがたい。

その後、外出。U社へ。きちんと提案して取ってきた案件でこちらの事も一定以上信頼してもらえていると感じられる顧客のため、この打ち合わせは苦ではない。

終了後、喫茶店で同僚と週明け提出するZ社向け追加提案資料作成の打ち合わせ。認識を色々アイディア出しながら合わせ、あとはオンライン麻雀や下期の組織を機能させるための動きの意識合わせなどに興じたのち、帰宅。エヴァの再放送やジョジヨ4部のアニメを見た後、おもむろに思い立ち携帯で日記を書いている。のが今である。いわゆるこれがひとつのサラリーマンの1日である。

実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか

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にっきのかきかたをわすれちゃったよ【日記の書き方を忘れちゃったよ】

1. 以前日記を書いた事がある個体が、時間の経過により日記を書く手法や技法を忘却し書けなくなっているさま

2. 90年代終盤から2000年代前半にかけて、日本のWeb上の片隅でおよそユニークユーザー数百人から数千人程度の小さなコミュニティを形成していたと推測される「日記系」あるいは「テキストサイト」と呼称された個人サイト群において、突出した個性や技能の無いサイト運営者が提供できる主たるコンテンツとして「日記」「Diary」「日々の雑文」といった、個人の日記と雑文的コラムのあいの子的コンテンツのデータがサーバの一角を占めるようになっていたのだが、その中で、現実生活の忙しさ(といっても、無職ではなくなったので暇が少なくなった、程度のことも多かったようである)や充実度に応じて個人サイトの更新頻度を下げることとなった運営者が、久々に「日記」を更新する際、日記の書き方を忘れた、という言い方をすることで、

「え!? あれだけ精力的に、もとい、言い換えると必死に自分のサイトを更新し、ランキングサイトのデイリーチャートに一喜一憂したりUUの数が一桁違うサイト運営者には目に見える形で媚を売ったり運営者同士の交流拡大にも併せて余念がなく、かつ当該交流対象の運営者が異性である場合はあわよくばの可能性を考え触手を伸ばすことに熱心だったテキストサイトの運営者●●さんが、日記の書き方を忘れるほど実生活の充実あるいは職業人としての能力を買われサイトの運営から遠ざかっていたとは!」

という驚きを閲覧者に与え、「俺が一番先に飽きたわー」感を出すことで、日記系やテキストサイトを俯瞰で見ることが出来るようになったデキる俺を演出する技法のこと。

しかしながら、このフレーズを記した当人の意図通りの文脈として受け取られることは決してないことにも留意すべきである。

(90年代後半から2000年代初頭の個人サイトの一部でのみ通用する悪魔の辞典より抜粋)

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というわけで、日記の書き方を忘れてました。

実に2年と9カ月ぶりにまとまった文章を書くし、高頻度で更新していたのはせいぜい2005年までなので、まあおよそ10年から15年前の間がボリュームゾーンであることから【日記の書き方を忘れちゃった】のも確かにそうなのですが、その間に就職したり辞めたりフラフラしたり再就職したり結婚したり子供が産まれたりもう一人子供が産まれたりしてたのもあって、それこそ、まあ、だんだん時間がなくなっていったのです。


でも、ちょっとだけ書きたい事があるので書いてみます。ほぼほぼどうでも良い事と思いますが、アイドルについてで、それこそ2年ちょい前から坂道シリーズ的なアイドルを推しているので、なぜそこに至ったか、というほぼほぼどうでも良い事を。ただ、今まで書いてこなかったパーソナルな事も書いてくので、ちょっとした半生記みたいなものでもあります。


というかこれ主観バリバリすぎてかつ長過ぎてFacebookにも書けないし(投稿範囲絞れば一応書けるけど)、Twitterでは短すぎるし、ここぐらいしかないんですよね。その、書く場所が。Facebookで投稿範囲絞った場合1人か2人程度しか見ないはずなのですが、こっちだと1人か2人くらいが実際としてもあわよくば10人くらいは見てくれるかもなあ、というのも淡い期待としてあります。あと、長いので。



■実録:いかにしてわたしは坂道的なアイドルへ転んで行ったか


基本、わたしはミーハーだからです。以上。




と言ってしまうとそこで終わりなのですが、まあそれだけでは一応ないのでもう少し続けます。
結局、自分の半生にリンクしている話ではあるので。超絶主観しかない話になりますが、続けます。

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【1】ハロプロ
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だいたい2001年から2003年、言うたら2005年くらいまではハロプロというかモーニング娘。の4期生である石川梨華さんをわたしは「推して」おり、2001年から2003年あたりはライブにもそれなりに足を運ぶ、当時ちょっとだけ流行した「隠しサイト(個人サイトの一形態、本家サイトを持つ個人サイト運営者が名を明かすことなく別人として別サイトを開設運営すること)」と言う形式で石川さんのファンサイト(といってもテキストサイトですが)を作り運営、と、その当時の言葉で言えばモーヲタ及びモーヲタテキストサイト運営者の片隅くらいにいました。



これはまあ、楽しかった。テキストサイトでつるんでいた連中とメンツはほぼ一緒なのですが同じような仲間もいて、だいたいそいつらも暇と無駄なエネルギーだけはあって、それも楽しかった。ヲタという表記は未だに好きじゃないし今では当時の仲間との交流というのも無いのだけど、当時のモーニング娘。はメインでもサブでもあるカルチャーとして様々な事象に接合して語れる、というのが大きかったように思います。


なんでしょうね、大袈裟に言うと、その頃を生きてく力を得たと言うか。そういう類の衝撃というか。

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●人生って素晴らしい!初めて「アイドルを通じて」そう思えた時期

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ええと、振り返るとわたし、学生時代とか今にして思えばそっくり改変したいかなってくらい中身がなくずるずる過ごしていて。就職すんのもしんどいし何やっていいかよくわかんないし、それでいて考える事もしないし、ふわふわふるると曖昧模糊としてました。


個人サイトやり始めたのもきっとその穴埋めみたいなもんだったと思います。
だってみんなが、褒めてくれるんだ……な碇シンジ感が無かったとは、決して言えません。


そんなわけでまず「日記系」だの「テキストサイト」だのにわたしはハマっていくのですが、その時の仲間の間で、というかそれ以外の周囲でも同時多発的にモーニング娘。が「来だした」時期があって、それが2001年くらいだったかな?と。


なんだか自業自得なんですがろくな将来も待って無さそうだしどうしようかな、って時に、高エネルギー体に触れて覚醒するようなもんで、時期的には、LOVEマシーンとかで大流行した後なんですが、そういう流行モノの中に自分と接合できるものがあるんだという軽い驚きのようなものもあったし、どうやらよくよく見ると、このエネルギーは自分をドライブしてくれるらしい、しかもかわいい、あれ?やべえ!これ楽しいんじゃないの?人生って素晴らしい!!!!!




ってな具合でテキストサイトのみならずモーニング娘。およびハロプロにもハマっていく自分、という状態が形成されました。
この頃は、なんとか就職したけど仕事の意味もわけもわからずただただ苦痛、という時期で、その状態をなんとか乗り切る力の源泉としてテキストサイトやアイドルというものがわたしの中で機能していたように思います。

ちなみに、ハロプロにハマって以降、アイドルやサブカル的な何かの話ができない女性とは付き合えない(正確に言えば、ただでさえモテない人だったので、さらにディープダンジョンの奥へ行く感じ)身体になり、妻はそういった話もできるのでわたしが結婚とかできたのは奇跡みたいなものだったと思ってます。



その後、個人的には再就職、結婚と続き、だいたい2004〜5年くらいに一度モーニング娘。離れがおきます。



アイドルって、不思議なもので段々エネルギーを失っていく(モーニング娘。がそうか、は色々議論がありますが、一般論として)というか、たぶん時代から離れていくんだと思うのですが、出す曲もそこそこ悪くないしなんだったらファンの間では評価も高いしメディアにも出ているんだけど何か違う、ストライクじゃない、って感覚がどんどん大きくなることでこっちも離れてくというか。まあ、この場合は石川さんが卒業するので、やはりそれが大きいってのもあります。


で、しばらく℃-uteに流れたりして過ごしていたんですが、さらにアイドル自体から離れる時期があって。

離れてる時期って仕事が結構面白かったっていうか、ようやく自分が基本何すればお金がもらえて何すれば人が喜んでくれて何すれば怒ってとかがぼんやりだけど見えてきたかなという時期だったので、忙しかったり愚痴ってたりしたけど夢中ではありました。
元々自分の穴埋めとしてのテキストサイトだったりアイドルだったりしたのが、それこそ機能としてあまり必要としていない時期だったのかもしれません。


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【2】ありがちな流れとして、AKBとかSKEに流れる期
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んでも、またその後にRIVERとかのあたりからヘビロテあたりでなんとなくAKBとかSKEとかに流れ始めるっていうある意味わかりやすい遍歴なんですが、実はそこにもポイントがあると思ってます。

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●サラリーマンよりサラリーマンっぽいAKB48という組織

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確証は無いのですがなんとなく、フリーでやってるとかメディア系の仕事寄りの人は割と継続的にハロプロファンのままって人が多くて、あとスターダスト系もちらほらとかいるかな?なんですが、いわゆるサラリーマンになってる人って秋元康傘下の48Gとか46に流れてる傾向にあるかなと思ってまして。秋元康Gの方が悪趣味で握手(売上)ばかり見て非常にサラリーマン的、ってのが大きいかなあと。


わたしも時期的に、子どもが産まれて以降、会社組織内でマネージャーだのグループリーダーだのなんとか部長だのといった中間管理職になっていったのが大きく、このあたりでいきなりそれまでの業務を拡大しつつ小組織での売上利益も計画し上げていって、かつ所属者のモチベーションなどの人的管理、もっと言えば会社都合で嫌な事だろうとやるしやらせなければいけないといった事態に直面します。


そんな中で、かつてハロプロにハマった時ほどのハマり方ではないものの、わたしの中ではAKBGがその位置を拡大していきました。


AKBGって実にサラリーマン的で、高橋みなみに代表されるともすればブラック企業的な追い込みもあるのですが、むしろそういったものにコミットしていかなければいけない、そんな組織的な要請を内面化せざるを得なくなる、そしてそのBGMはハロプロではなくAKB48になっていった、ということです。


端的に、AKBでは総選挙に代表されるシステムで業績が可視化されます。そこには夢の形をした情念が渦巻き、政治もあり、箱庭内のポジションから逃れられなくなる現象が見られるのですが、それはまさにべッタベタなサラリーマンの世界。ホントはそうでもないけど箱庭を自明なものとして、その中で懸命に生きる少女たち。という構造を隠してもいないし、むしろ前面に出している。


たとえばAKBのドキュメンタリーがそういった苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち、といった基本ストーリーなのも、漫画『AKB49』がスポ根として成立していたのも、そう言うことだと思います。


つまり、わたしにとってAKB48は、かわいいアイドルではなく、自分を鼓舞する、ケツを叩くような存在であったということです。
だって、同じようなことしないといけない、と求められていたし、自分でも、そういうことも出来ないといかんよね、というのがあったから。




でも、だんだん、だんだん、そういう世界観に疲れていったのです。
以下は数年前のAKB総選挙を受けてどこぞに書いた感想ですが、そこにも自分の見方がまた変化してきた傾向が見て取れます。

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そもそも、定性と定量の曖昧なミックスでしかないアイドルの価値評価を定量寄りにシフトすることで、営業マンの成績表掲示のような見える化を敢行した事が総選挙の立て付けであり、そこには「所詮太客を捕まえたら勝ちなんでしょ(大型案件獲得ないしアサインされたために評価が上がる)」という諦念と「しかし太客を捕まえるということは価値がある証拠だよね(大型案件を獲得する、アサインされるのは実力ある証拠)」という扇動、といったタマゴが先か鶏が先か構造があり、その矛盾にはまり込む「社員」も多い。

そういった、全共闘的、新興宗教的、ブラック企業的な総括の場での追い込み、そしてその追い込まれ方にぐっとくるという悪趣味さと、立場への共感、構造への反発も覚えますが、そもそもそれが狙いであり構造を強化する装置として機能する矛盾もまたありますね。

そして、その構造を抜けるには、AKB商法、と、あえて書きますが、そのルール(本質的にはその組織内でしか理解できない商習慣や評価基準)に則りその波に乗って総選挙1位を狙うか、ルール自体を変えて外部評価を得るか、両方を狙うか、諦めるかの4択という現実世同様の世知辛さがあります。

で、その世知辛さにファンを巻き込み夢なのか何なのかを仮託させて、ひとつの市場経済圏を作り上げる、そしてその歪さが「現実」を転写しているようであるため「共感」や「興味喚起」が発生し、見込み顧客が拡大、さらなるクロージング(ファン化)につなげる、という、提案書に落とし込んだら横展開で案件がどんどん獲れそうなスキーム。ブレイクスルー以後のAKBはそのようなものであったかと思います。

なお、高橋みなみがいみじくも「人生は矛盾と戦うこと」と言いましたが、その正しさと覚悟に人は心を動かされる反面、AKBではその矛盾自体が仕組まれているも事実でしょう。ゆえにそこに、仕組まれていてもなお足掻く美しさを感じるのか、冷笑的に見るのかという態度表明があって、徐々に世間が冷笑寄りというか食傷気味になっているのがここ数年かなあ、と。

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この頃、わたしは疲れていました。複数案件のPMをこなしながら組織も曲りなりに見て。また、小さな組織であるにも関わらず、人間が集まれば「政治」が発生しポジショントークが横行することにも驚きと疲れを感じていました。


東に辞めたいという人あれば行って話を聞き(結局辞めるので止められない無力さも感じ)、西に業務過多で苦しいという人あれば行って調整するか巻き取るかして、そして雨に負けたり風に負けたりするし上からは怒られるし下からは突き上げられるしの中でなんとかやっていたのが、東奔西走する中で段々生気と判断力を失って行った数年。


そんな中、自分がPMを務めるある大型案件の炎上が決定的になりました。その案件を続けていたわたしは心理面の不調も顕在化し、その案件の道筋をなんとか整えたところで自社の社長からしばしの休養を勧められ、それを受理しました。


それは同時に、管理職からの離脱も意味していましたが、AKB的な概念がしんどい、高橋みなみに代表される「やるか、もしくはやるか」「前進のない組織、それを形作る前進のない個はすなわち死である」的なマネージメントがしんどい、というのが強く、確かに、とにかくちょっと休みたかったのです。


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【3】そして、坂道へ……
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そんな中で、2週間ばかしの休暇中。これまで楽曲単位である程度の興味しかなかった乃木坂46の番組を見るようになり、ちょっと空気を変えたかった、きっかけはそんなもんでしたが、静かな衝撃を受けました。


同じホールディングスに所属するグループ会社なのにライバル、といったエヴァのマルドゥック機関でもこんなマッチポンプしねーぞ、という怪しい出自であるにも関わらず、そして同じ秋元康でちょっと毛色が大人しめってだけ?あまりパワーを感じないかなという当初印象程度だったにも関わらず、さらに同じサラリーマン的構造にいるにも関わらず、少なくとも表層上はAKBとも違う世界が展開されていることにです。


音的にも、直近のハロプロの通好みっぽい志向(だけどわたしにとってはもう何か違う状態)とも違うし、AKBに似て非なる、悪い意味での下世話さは少ない感じ。同じ秋元康なのに、というところがまた複雑でしたが、この辺りも好みに近いことに気付きました。


要は、AKBには戦う美しさがあると思いましたが、どこか強迫観念的で組織の急速拡大に伴い政治的欺瞞も感じられ、戦いの目的自体が曖昧になってきた、ただその中で業績はきっちり昨対比で求められるさまがすっごく単線的なサラリーマン社会って感じられてその辺りがしんどいのですが、対する乃木坂46も上昇、前進は求められているものの何かが違う。


たとえばいまだにバラエティ等でうまく喋れないとか、旧ハロプロ/AKB的な価値観からするとアウトなんですが、なんかそこに主眼を置いてない感じがする。消費されることを敢えて回避してるのか、なんなのか。サラリーマンで言い換えると、TVでうまく喋って認知される、なんてのは、なんていうか出世街道の上がりパターンだったりするのですが、そこに絶対的価値を置いてない気がします。

それはたぶん、戦場が同じようで違うからなのかなと思ってます。
後発ゆえの差別化戦略が功を奏している、という言い方はできますが、どうも単線的な「あれか、これか」ではなさそう。


奇しくも、今はわたしも、強迫観念からは距離を置き、前よりはもう少し冷静に意思を持つようにしています。
それでも仕事の成果は挙げられるし、なんだったら組織に影響を与える事もできる。その方が人生的にも良いかな、と。


「苛烈な世界像と向き合い、傷つき、それでも歩みを止めない少女たち(≒わたしたち)」という構造自体は変わらない。変わらないのですが、そこに強迫観念性を持たせない、静かな意思をもって対峙する、という乃木坂ちゃんたちの感じが、多分今の自分にはあっているのだろうなと、そんなことを思っています。パワーをもらうというより、勝手な共感に近いかもしれません。


まあ、いずれまた、べったりとした、僕らの小規模な、戦場と呼ぶのも憚られる戦場めいた場や強迫観念に向き合う日が来るのかもしれませんが、その時に備え自分の上り坂を作れるようにしておこうかと思う今日この頃です。



いわゆる日記の書き方を忘れたのをいいことに、パンチラインとかオチとかこれを読むかもしれない誰かの役に立つようなことは一切書いてありませんが、次はまた3年後くらいに何か書いてるかもしれないし、意外と近い時期のどこかで何かを書いてるかもしれません。おしまい。

飾りじゃないのよ涙は

わたしはかつて、40歳になっても日記を書いてそうと言った人間だ。なので、1年に1回とか、2年に1回とか、書く。

わたしには子供が二人いる。というか、前回日記をワールドワイドなウェブにアップロードさせて頂いた際は一人だったのだけど、まあ、もう一人生まれ育っている。今度は男の子で、それはそれで面白い。父親でありコミュ障という流行最先端をひた走るわたしと異なり、すごく人懐こい。このまま育てばいい感じに世の中を遊泳できそうな雰囲気なので、ぜひこのままで、と思っている。インターネットで日記でオフ会みたいな屈折しきれない屈折世界とは無縁の、今でいうとLINEとかで爽やかによろしくやってるような感でいってほしい気がする。

そして、親父ってしょうがねえな、と思われながらも、いつか、まあ親父も頑張ってたんだな、くらいに思って欲しいという特に珍しくもない願望は、やはりわたしにもある。そうなるよう、いろいろあるけど頑張ってこうかな、とか思う。で、実際、そこそこ、いろいろあるんだけどさあ!というそこそこ具合含めて、生きてます。

手癖ペンタトニック

久方ぶりに分不相応な気もする役職がついた事もあり、ここのところ、気を抜くと、メンタルさんが溜まりに溜まっている為か、うっかりヘルスへ行ってしまいかねないなあと思っていたりします。まずい傾向ですね。一応、誤解のないように申し上げますと、性風俗産業の代表格、射精四天王が一角、しかしあ奴は我ら四天王の中でも最弱、ククク……であるところのファッショナブルな健康ランドに私が行きたいわけではなく、私のメンタルさんが健康を欲しているのではないか?という兆候が感じられるという意味合いです。実際、割と、そこまで冗談ってほどのメンタル状況でもないんですが、とはいえそこまで切迫感もないのかな、という、なんとも言い難い日々となっております。ただ、毎日毎日、象徴的な意味でも視界がクリアではなく、色々とこう、私にとっての使徒、ビジネスやらマネージメントやらに関する難問奇問が、お笑いウルトラクイズ的に襲来し、かつ、そもそも私の強羅絶対防衛線は絶対性などはなから無い状態という事もあり、もうやめて、わたしのライフはとっくにゼロよ、なんてステータスがここ数ヶ月続いています。

しかし、要は、社会の所為でも会社の所為でもなく、労働の組み立て方が悪い。能力が無い。私一人が無闇に頑張れば済む話でもない。こういったすべては、レッツビギンやで!自己責任や!でおなじみの社会さんのなさる業(わざ)なので、私がいくら泣こうがわめこうが、ビジネス特異点であるところの自己責任領域に収斂されるからくりサーカスの世界。まあ、まだ泣いてもわめいてもいませんが、いわゆる中間管理職って、ステキなお仕事だとホント思います。中間じゃない管理職もまあ色々、色々とあるとは思いますが。

あと、そんな、弱ってる時に、テキストサイト時代とか、はてなダイアリー移行初期などの自分の過去日記を読んでしまったのでたいへんです。なんかもう、昔の自分の文章を読むと、誰か、こいつの性根を叩きなおせよ……って感じ。穴があったら爆破したい。いやまあ、自分だけではなくて、あの頃の知り合いって、いわゆる文筆業で活躍している人とかもいれば、行方不明になってたりの人もいてまあ、マチマチなんですけど、おおむね、部下にも上司にもしたくないスメルが漂っておるので、テキストサイトとはティーンスピリットの臭いが充満した世界だったのだなあ、と今更ながらに思いましたです。というか、こうやって、10年以上経っても、自分の書く文章が質的にあまり変わらないというね、そのことがもう、この季節におあつらえ向きのホラーだと思うんですよね……。