10月11日の日記、タイムリープ

これを書いているのが13日の朝だから、日付上2日のズレがある。インターネットで日記を書いているとままこういうことがあり、そのうち2日は3日になり、5日になり、1ヶ月、1年、と、インターネット上の自分と実際の自分の時が重ならなくなっていくホラー現象が起こるのである。ちなみに、最近はこうやって更新しているのだが、この前は4年、さらにその前は2年ほど間が空いたので、日記ではなくなんと呼ぶべきだったのだろうか?疑問は尽きない。大人になっても、わからないものはわからないのである。

あとなんで朝書いてるか、それも一般的に出社などの時間であろうこの時間帯にインターネットで日記かと言うと、会社に宿泊したからである。宿泊といっても、お泊りデートのようなウキウキ感は一切ないし、何かと長時間労働が取り沙汰される昨今であることから、もしかして ブラック といったGoogle先生のサジェスチョンも想起されなくもないかもしれませんが、半分あたりで半分違うといったところでしょうか。この辺のことを書き出すと、ぼくの心のやらかい場所を今でもまだしめつけるような空中分解アイドルグループの空中分解騒動を眺めた時のようななんとも言えない気分になるので(わたしが)、それは控えておこうと思う。

それにしても、お泊りデート、って表現は誰が考えたのだろう?何かかわいい感、ウキウキ感、世間に表明しても恥じないイベント感、が言葉からは感じられるのだが、概ね辿り着く行為はひとつではないか?とも思うのだ。それをオブラートどころかチョココーティングするような見事な変換。見習わないといけないなと思う。いや、それとも、世の男女はわたしのようなしがないおっさんがいかにもおっさん的想像力で想像するようなヌメッとした行為を言い換えているのではなく、もっと実際にキラキラしたことをしているのかもしれない。つまり、そんな風に思ってるのは、わたしだけという可能性だって少なからずある……?

10月10日の日記、シン・武蔵小杉

一昔前まで、武蔵小杉には特に何もなかった。と自分的には言い切ってもいいくらい自分との関係も薄かったし、実際、大きく何があるというわけでもなかったように思う。のが、いつの間にやらタワーマンションが林立し、ショッピングモールは新設され、住みたい街の上位に来ているわけで、そりゃあシンなるゴジラさんも侵攻ルートに選ぶであろう、という按配なのですが、そういや武蔵小杉がシン・武蔵小杉になって以降一度も行ってないことに気付き、行ってみました。

感想としては、横浜市で言うとセンター北がある程度開発されてから行った時の感覚に近かったです。世帯年収はそれなりの中での差異化ゲームが其処彼処でありそうな感じ。ただ、地域一帯が横並びではなくて、武蔵小杉自体はそれなりに古い街を再開発しているのが違う。ショッピングモールの屋上で子供を遊ばせながら、見下ろすように屹立するマンション群を見渡すと、団地は横に拡がる、けどタワーマンションは縦に伸びる、横並びの中での差異化ではなく、上層と下層にまず差分があり、その差分が拡大再生産されるイメージが浮かぶ。もし自分があのタワーマンションに居を構えるなら、N階あたりが妥当なところかどうか、という下世話な想像力が働き、そして、そこにはゴジラが幻視されるのであった。

10月9日の日記、家族百景

娘のピアノ教室の発表会リハーサルが、わたしのギター教室をやってるスタジオの一室であった。ピアノのリハが終わった後で聞いたら他の部屋が空いてそうだったので、時間とギターを借りて家族でスタジオ入りした。

妻は学生時代、額に肉と書いて、いや、鳥だったかな?麦チョコだったかな?とにかく額に何か書いてコミックバンドでドラムを叩いていたそうだ。つまりドラムの心得はある。まじめなバンドもやっていたかもしれないが、コミックバンドの話の印象が強いため、わたしの中では、額に何かを書いてドラムを叩いていた女、ということになる。結婚の決め手の一つだ。

息子は楽器はまだできないので、適当にドラムを叩かせたりギターを掻き鳴らさせたりした後、娘ピアノ、妻ドラム、わたしギターでセッションができた。キーはC、ピアノが和音やベース役、ギターはCメジャーペンタトニックかCメジャーで適宜アドリブ、ドラムも適宜叩く、という形。これが意外と普通に出来て、妻子と音楽を演るという目的が8年目にして一つ形になったので、良かった。


一回家に帰って後は、息子と妻が寝落ち。なので娘と一緒に百円ショップとブックオフへ。娘には砂時計とホワイトボード用のペン、ブックオフではオウマガドギ学園という小学生向けの怪談小説を買った。お父さんはキルスウィッチ・エンゲイジのCDを買った。

家に戻って青椒肉絲もどき(肉のある「もどき」なのでカウボーイビバップのように肉なしではない。スパイク・スピーゲルも青椒肉絲だと認めざるを得ないはず)を作り、食す。

テレビを見たりした後、子供たちを寝かしつけて、就寝。

10月8日の日記、ジミヘン

土曜日である。

息子のダンス教室は咳が出ているので大事を取り休ませた。時間があるので近くのGUで服を買う。まあこれ入るだろう、で試着せず買った黒のダメージおズボン的なやつが家に帰って実際に履いてみたら伸びる素材でデブに優しい服であったため履きやすく、割と良かったなあと思った。

子供が二人いるので可処分所得的なサムシングがわたしの中で強い影響力を持っており、結果、子が生まれた時からはそうそう服に投資しないようになっている。最近、というかここ4、5年は、時々買う自分の服は基本GUである。そりゃもう、安いから。

若い時は、アッカンベーみたいな名前のブランドとかポールマッカートニーとモリッシーとジョニーマーがバンド組んだらこんな名前だろうと思わせるようなブランドとか、うっかり買ったりしてた。まあブランド的にはどうにもベタな選択だと思いますが、なんか、昔はもっと痩せてたので着れてたんですよねー…。

あと、シブヤとかハラジュクとかダイカンヤマとかにも出掛け、雑誌によく載るみんなが知ってるような店で、みんなと同じように、せめて、人間らしく……と思いながら、そういえば買うていた。当時は当時で少ない可処分所得からひねり出しており、洋服に投資する配分は、わたしのような非リア充ですら、今より多かったのだ。ちなみに、多かったことが、女性からのポジティブな評価や興味なんだったら好意に繋がっていたという実感は一切なかったことは参考までに付記しておきたい。

今日はギターを習う日でもある。発表会を終え通常モードに帰ったのでテキストに戻る。ワイルドチェリー『プレイザットファンキーミュージック』風、ジミヘンの『フォクシーレディ』風のフレーズを弾く。楽しい。わたしのギターはストラトなので、ジミヘン風のフレーズを弾くと気分が出て良い。現実ではほとんど大量に押されることはないいいねボタンが、心の中では押されていくね。

10月7日の日記、囚人のジレンマ

管理職は役割である、とはよく言うし、実際にそうなのだけど、スタンフォード監獄実験で明らかなように看守役は役割を演じるはずだけのつもりがいつしか本当の看守として振る舞う。わたしも看守の役割を演じたことがあるので、自覚はないけどその頃はそこそこ看守の振る舞いをしていたのだろう。

新組織のマネージャーは元々古い同僚だが別拠点で長くやってきたひとである。昨日初めてMTGをしたが、かなり言うことを考えてきたんだろうな、と思った。普段耳に届かないような内部評価と外部評価の差を提示して気付きやショックを与える的なあれから入ってる感じ。そうですよねえ。最初ですし。わたしも気をつけようと思いました。

役割としてにせよマネージメント実行するのって、みんな好き勝手文句言うし、人それぞれ基準が違うのだけどマネージャーが役割に求められた仕事をしてないと感じるやいなや、人って、それ見たことかやれ前から思っていただの何だのライク鬼の首取った感出してくるし、まあきついと思います。でも、いやまあ、看守と囚人よりはパワーバランスが取れているのかもしれませんね。


人間って不思議だケロ。

10月6日の日記、ルイボスティーを飲みながら

みなまで言わせないで欲しいのだけど、夏前からずっと、何かにつけてルイボスティーを飲んでいる。近所のスーパーで287円、そのパック群から一掴みしてとりゃあと湯を注ぐ、それに99円のロックアイスからこれまた数掴みしてアイス、すなわち氷を浮かべて飲む。これだ。控えめに言って最高だ。みなまで言わせないで欲しいのだけど、なぜ飲んでるかって、それは、わたしこと二児のお父さんがおたくだからである。二児のお父さんだけに二次も好むわたしだが三次のアイドルも世間的水準から見れば愛好していると言って差し支えない状態であることから、アラフォーの趣味嗜好としては社会的要請を鑑みるとちょっとした惨事なのであろうが、ルイボスティーを飲むのは裸足でSummerの歌詞由来、それ以外の理由はない。要は齋藤飛鳥センター曲である。彼女の別冊カドカワのエッセイとか、控えめに言って素晴らしいので未読の方はぜひ読んで頂きたいのだけど、もしあれがテキストサイトだったら確実にリンクしてます。と書けば、伝わる人には伝わるかもしれませんね。

今日は自社グループの下期キックオフイベントがあって、まあ遅めに参加した。内容は特に書くべき事はないし、書いたとしたら機密保持に引っかかりそうなので書かない。ちなみに会場の近くでなんとなく独特の波長を感じる人だかりがあり、何かなと思ったら桜井玲香さんや若月佑美さんが出てる例の舞台の開場待ちのようであった。しかしながらわたしは社会生活上のリスクを鑑み、その横を何事もなくスルーしていく。のだが、自社キックオフイベントとかどうでもいいのでそっちの舞台を見たかったのはわざわざ書くまでもない。みなまで言わせないで欲しいのだけど、そう書くことってことはわざわざ書きたい感を出したいということであって、それもまたわざわざ書くまでもない話である。

思うのですが、アイドルグループってそれぞれ、なんかの属性のサブカル殺し能力を持ってますよね。たとえば乃木坂ちゃんも基本、サブカル殺し能力を持ってるとは思うのですが、ただ、なんとなくサブカルの中でもプロレス好きとは属性相性悪そうなイメージです。いや、全然両方好きな人もいるでしょうけど。というかまあ、単にわたしがアイドルとプロレスを絡める文脈が苦手ってだけかもしれません。だってわかんねえんだもん、プロレス。

10月5日の日記、ゴール設定

今、話したい誰かがいる。もとい、今、離したい案件がある。

とっても面倒な自グループ案件なんだけど、新規事業のため見切り発車が多く対応が皆アジャイル的、というステキな案件であり、かつ複数社がしがらみ、組んず解れつ、目先の皺寄せがWebに来る、予算無い、中で要求が膨らみ続ける、的な、ありがちスタイル。

これまではこっちの対応がファッキン低レベルだったのでその是正優先で動いていたけど、そろそろ反撃の狼煙をあげる時なのでやろうと思っていた戦略整理に手をつけ出した。

まず、事業ゴールが曖昧だ、ゆえにターゲットユーザー像とそこに提供するベネフィットが曖昧だ、よって目的が●●な機運の醸成、といった感じで具体的な内容では無い、だもので集客の手法もコンバージョンシナリオも甘い、コンテンツが上から目線でユーザーニーズへのアジャストないしナーチャリングに至らず離脱を招いている、継続接点が弱い、といった仮説が考えられるので、各曖昧ポイントと実情のギャップを明らかにしてそれを埋めるための方策とロードマップを敷く必要がある、と考えている。

加えて、この案件に関わるメインスタッフが一名退職する、もう一名は案件離脱を強く望む、など風はアゲインストであり、またこの案件に関わる限り別件で売上を立てるリソースがなくなる、といった常闇事情もあるのだが、まず戦略のロジックを事業オーナーと握り、しかる後に複数社のしがらみを論と情で整理し再配置をしないといけない。そういうまっとうなアプローチが逆に全体最適の近道になると信じてコトにあたるしか無さそうだ。

別にやる義理はあまりない。が、逃げちゃダメだマインドの発露が今、わたしに求められている。というか、わたしがわたしに求めている。だから今、離したい案件ではあるけどやっぱり離さない。今、話したい誰かがいるから。

齢を重ねるとどうも、普通に日記を書くと、こういう内容になるんだよなあ。