夜想曲

 いま読んでる音楽がらみの本、本の名前を書かないのも個人的に少し恥ずかしいので書きますが、Th.W.アドルノさんの『不協和音』という本です、がけっこう面白いです。なんかいろいろむずかしいことがかいてあるので、よみおわるのはだいぶさきになりそうですが、気合入れて読もうと思います。じゃあ、ちょい、今まで読んだページの中からおもしろかった部分を引用。


無数の流行歌の歌詞は、曲名を大文字でくりかえしながら、当の流行歌そのものを売りつけているのである。こうした文字の塊のなかから偶像めいてほの見えるのが、交換価値という代物だが、そこには楽しみのかけらも残されていない。マルクスは商品の物神的性格を人間の自ら作った物にたいする畏敬、と規定しているが、自ら作った物がいったん交換価値を帯びると、生産者と消費者―――つまり「人間」―――のいずれからも疎外されるのであるという。「だから商品形態の謎めいたところは、それが人間の目に、彼ら自身の労働の社会的性格を、労働生産物そのものの対象的な性格、これらの物の社会的な自然属性、として映じさせている点、したがって、生産者の総労働にたいする社会的な関係まで、彼らの外部に存在する対象物の社会的関係としてうつし出されている点、にもとづくと見なければならぬ」。この謎は、成功という紛れもない謎である。成功は、市場で生産物にたいして支払われるもののたんなる反映にすぎない。冗談ではなく、自分がトスカニーニ演奏会の切符のために支払った金を消費者はあがめるのである。文字通り彼は成功を「ものにした」のだが、彼はさらにそれを物象化し、そこに自分の姿を見出せなくても、客観的な基準として承引するのだ。

 こういう記述はかなりおもしろいなあ。曲名を大文字で繰り返す、とか。ここから派生して、事は音楽に限らず、日常の、なんてことのない会話においても「物神的性格」っていうのに近いものはあらわれるんじゃないかな?なんてことも思います。例えば、みんなが、自らの「ステータス」を「交換価値」とみなして他人にアピールする場合、とか。(※以下、あとで気が向いたら追記します)